東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

芝居のことやマツケンについて

昨日、Oから予告編の編集が終わったという連絡があった。
予告編の入っているCD―Rをもらい、本編とつなげれば、これでめでたく完成。
気になる予告編の尺は、今のところ不明だけれども、おそらくトータルで30分ほどの映像になることだと思う。

はっきりいって結婚するWさんを祝福しているシーンはごくわずか。作っているこっち側のやりたい放題の作品だ。これをもらったところで、はたしてWさんはうれしがるのだろうか。そこはいかんともしがたいが、まぁ作っちまったものは仕方が無い。以前、大学の助手の先生の結婚式でYプロがつくった映像は、新郎と新婦の出会いから結婚するにいたるまでのドキュメンタリーであって、それは新郎新婦のために作られたと言っていいビデオであったのに比べると、今回の作品は作り手の、つまり僕のやりたい放題の内容だ。

これは趣味だ。そう割り切った。おそらく出来たものを見て一番楽しいのはWさんではなく、僕自身であり、参加したメンバーだ。それでいいや。だって別に披露宴で流すわけでもないし。こっそり渡すだけなのだから。結婚祝いとして、心を込めた贈り物だ。そう思ってもらおう。

で、話は変わる。
昨日、気分が滅入る電話をした。それはある芝居への不参加を伝える電話だ。
今年の3月に一緒に芝居をやったSさんから、10月に芝居をやるのででませんかと誘われていたのだ。で、リーディング公演の日程が決まったら返事をすると言っており、結局リーディングが9月19、20日になったので、そうなると稽古参加が約1月しかなく、これでは向こうにも迷惑をかけるし、なにより自分に連続で芝居に打ち込む体力がないと思い、申し訳なかったけれども断った。

役者として誘ってもらえるのは有難いことだ。しかし、いざ参加するとなるといろんな問題が出てくる。稽古に参加する時間を作ることも必要だし、なによりお金もかかる。お金のことを考えるのはとても嫌だ。だけど実際問題、やはりお金のことは避けて通れない。今のところ僕を含めて僕の周りで芝居を作っている人たちで、芝居でお金を生んでいる人はいない。お金は出て行くばかりだ。

東京でひとつの芝居を作ろうとすると、どんなに安く見積もっても、僕の知る限りでは40万円は必要だ。たとえばそれを役者10人で割ると1人4万円。で、チケットを1500円として、20人呼べば3万円なので、まぁ負担は個人の負担は1万円。だけど、それは芝居に関することだけの予算なので、他に稽古場へ行く交通費は別途。それに稽古をする時間は働けないわけだから、収入が減るうえに、支出が増えるので、これはいつもの生活に比べるとずいぶんな出費だ。つまりお芝居はかなり贅沢な趣味というわけだ。

あと仕事も休んでばかりはいられない。特に僕は9月にリーディングがあるので、その次の月も芝居とはさすがにいかない。

こういうことを考えるのはとても嫌だ。お金とか時間とか。好きなことである芝居なのに打算で方向を決めてしまうのは本当につまらない。ただ、現状ではどうしても打算はある程度必要になってしまう。そうはいっても面白いと思えることには出来るだけ時間は割きたい。そう考えると役者としてだけで参加することに、最近面白みを感じられなくなっているのも事実だ。時間やお金を費やすならば、今は演出や作家としてものつくりに参加したい。どんなに小さい空間であろうとも、自分で作れる作品を優先したい。だからやはり僕は9月を優先する。

それにしても最近、僕の周りは役者不足だ。いや、作家志望が多すぎるのか。見知った役者が似たような劇団をウロウロしている。それはなんだか不健康だ。役者なんてあんまりいないもんだ。だから、おそらくもうすぐ僕も役者集めに苦労する。所詮頼めるのは知り合いだけだから。まだ東京で芝居を発表したことが1回しかない僕なぞ、知名度は皆無だ。そんな僕を信用して時間を割いてくれる人など、やはり知り合いしかいない。できることなら作品に共鳴して集まってくれる人と作りたいもんだ。知り合いばかりじゃなんか、閉じた空間でしかできないから、広がっていかない。それには実績が必要なんだろうけど。ものつくりは、本当にいろいろ手間がかかる。ただ鉛筆を持って紙に物語を書いているだけでは、何も始まらない。

どうだっていいけど、今オリコンチャート17位に松平健の「マツケンサンバ2」という曲がチャートインしているらしい。なにやら嫌な気持ちになった。いや、それは万が一、松平健が『はてなダイアリー』上のこの『CDSマツケンの修業日記』なるページを見つけた場合、向こうのほうが少々不愉快になるかもしれないが。まぁこのマツケンというニックネームはプロデューサーYしゃんが、学生当時北海道で人気のあったタレント安田顕に僕が似ているという理由でヤスケンと言われていた安田顕に倣ってマツケンとしたのが始まりで、おそらくCDS上で一番リスナーに浸透しなかった地味なあだ名ではなかったろうか。そろそろこのマツケンというやつ、もういいのではないか。A管理人も何もわざわざ『マツケンの〜』をつけなくても。あれ、仮に知らない人が見てくれても、マツケンっていうのを知らないわけだし、それに「『マツケンの修業日記』を管理しているアンディです」って、これ、もうどこの国籍の人が何を管理しているのかも疑問に思えてくるよ。あとやはりマツケンで、修業だと松平健の時代劇ファンと思われねぇかな。なんかやってそうだし、本家マツケンは修業を。いや、まぁA管理人の好きなようにやればいいんだけれども。

あと笑ったニュースのタイトルは「アントニオ猪木平壌にいた」というやつ。どこに行くんだ、アントニオ猪木