東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

朝、ふと思う

朝だ。
夜勤の日の朝だ。つまりもうすぐ勤務は終わり。

夜勤に関して言えば、常に起きていなければいけないわけではない。
電話に対応できれば、仮眠していてもいいわけで、だけど大体この時間に起きる。と、いうのも清掃の方がこの時間に仕事場を清掃するからだ。そりゃあね、仕事中に清掃するわけにはいかないから、どうしたって社員さんの勤務時間外に清掃しなければいけないわけで。清掃の方も大変だ。

まだ僕が働いている場所はオフィスがあるところだから、社員の人は遅くても夜9時くらいには帰る。だけどこれが番組制作とかに関わる部署、まぁつまりお台場ですかね、そっちはそうはいかない。24時間番組をつくるために働いている人々がいる。で、番組を作るために働いている人がいるならば、番組を作るために働く人が排出するごみを片付ける人もまたいるわけだ。

他のテレビ局は知らないけど、お台場のフジテレビは24時間体制で清掃をする人が働いている。確かある程度3交代制。朝から日中の人と昼から夜の人と夜から朝の人。それでがんばっている。誰かが働いているとごみが出るわけで、それを片付けているということを、夜勤の日の朝、まだぐっすり眠っているところに掃除機の轟音が響くことで、僕は毎週一回は清掃の方のことを思わずにはいられない。

関東周辺はどうなってるんだ。39℃って。人間の体温だと病気だ。体温を超えている。もうすぐちょっとぬるめのお湯だ。すごいことになっている。今日の天気が33℃ですこしほっとしている。だって33℃でも6℃も低い。例えるなら30℃に対して6℃低いと24℃だもん。これクーラーでも寒すぎるくらいだ。そんだけ低いのだぜ。33℃でも。それでも真夏日でも。

昨日も夜は宮沢章夫さんの「be found dead」を見に行く。考えてみれば同じ映画を二回映画館で見るという経験はあまりしない。ビデオが出たら見ることはよくあるけど。こういう見方をすると、すでにお話は知ってるわけで、もっと意識してみると、昨日は見えなかったこともまた気づく。例えば一話目でエロ本をこそっと見ている少年が死体を発見するシーン、少年は死体に釘付けになるが、ふいにエロ本に目線を移す。そして急にカットアウトして物語が終わるんだけれども、その間の時間感覚が、昨日と一昨日では違う。それはもちろん僕が「既にそういう結末だと知っているから」だけれども、つまりここで僕が感じるた時間間隔は初見の観客ではなく、もう少し作りて側が意識した時間間隔に入り込んでいることになる。どのタイミングで死体から目をそらすか。どのタイミングでカットアウトするか。そういうことが違って見える。そういえば映画館に二度行ったことあったな、以前も。確か「もののけ姫」を二回見に行ってた。

で、昨日はくるりの初めてのビデオクリップ「くるくる鮨」を購入。デビュー曲から最新アルバムに入っている曲まで全15曲もクリップが見れるので、おもわず購入。初期のまだ3人だったころのくるり。僕はファーストアルバム「さよならストレンジャー」をタイトルが気に入ったので、何も知らずに聞いたところからくるりにはまったので、そのころのなんだかがむしゃらな感じが好きだった。クリップもまだなんか若い3人が元気にはしゃいでいる映像が映っている。だんだんクリップも変容していく。確かに最新の「花の水鉄砲」のクリップは手が込んでいてかっこいい。だけどあの最初の頃の若さというかがむしゃらな感じはクリップにはもうない。作るものが時間が過ぎることで変化することは当然だ。それを否定する気はない。だけどやはりつい昔のことを振り返ってしまう。それはくるりの曲が流れていた時間が、まぎれもなく僕の青春時代とシンクロしていて、僕ががむしゃらな時代に、くるりのがむしゃらな時代があって、勝手に僕がそういう自分の思い込みを入れてみているからだろう。くるりの元ドラム森さんが脱退したときどっかの音楽雑誌のコメントで「もうかつて三人だったくるりではない。だけどそれでもファーストアルバムさよならストレンジャーのジャケットでまだ垢抜けていない表情でうつっている三人は、まぎれもなく、くるりであって、それは変わることはない」みたいなことをいっていたのを読んだ。こんな感傷は今現在4人で活動している本人からしたら、なんだよ、と思われることなのだろう。だけど、それは確かに実際あったことで、その記憶は消えない。そんなことを思いながらしみじみとクリップを眺めた。