東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

天皇のことなど

社会学者である宮台真司さんのホームページに世間をにぎわせている皇室問題について書いてあった。
まだじっくり読んでないんだけども、非常に勉強になる気がした。

僕は結構天皇のことを気にすることが多くなっている。それは偶然手に取った『昭和の終焉』(文春文庫だったと思う)を読んだからで、その中に書いてあった「内なる天皇制」という記述にひっかかりを覚えたからだ。その後もいろいろなところで天皇のことを書いている本を見るけれども、そのどれもが刺激的だ。

天皇の象徴』(これも文春文庫だったと思う)では江戸時代から明治に変わったとき、それまで将軍に権威を奪われていた天皇に、いかに権威を取り戻させるかをについて書いているのだけれども、国民に天皇はすごいんだということを刷り込ませるために当時の政府が行ったのが巡幸だ。巡幸とは、まぁ簡単に言えば天皇大名行列みたいなもの。数多くの家来を引き連れていろいろなところを歩く。それを目撃した人々は、最初はものめずらしさが先行するが、やがてこれはとても偉い人の行列だと思い込んでいく。明治初期、日本ではまだマスメディアはすこしも発達していない。地味とも思える巡幸を繰り返すことで、当時の政府は少しずつ天皇の存在を国民に刷り込ませていった。そしてもう一つが御身影だ。つまり天皇の写真。これを日本全国の学校に掲げさせる。これからの日本を担う子供達に教育を通して天皇の存在を植え付けていく。この写真にしても天皇の権威を示すために、どのような角度から撮るかなど綿密に計算されており、その二つの方法について著書は克明に書かれている。そうやって明治初期に、天皇という畏れ多い存在を植え付けられた世代がやがて日本の戦争時代で、重要な役割を担っていく。

別に僕は天皇制をどうのこうの言う気はない。まだはっきり何かの結論をつけれるほど学んでないし。ただ、そういうことについて今まで無関心すぎていた。何も知らずに漠然と天皇を肯定していた。

今年の三月に僕はKさんという人が主宰をしている劇団の芝居に役者で参加した。必要なので物語を掻い摘んで書くと、ある男がすごく運がよくなり、その運の良さを使って日本を牛耳っていくというものなのだけれども、それを阻止しようとする人間が最後にとった方法は、天皇を東京から離れさせて、別の場所に、例えば京都において、新たな日本を作り、強運の男によって支配された東京とは別の国を作り、戦おうというものだった。僕はそこにとても違和感を感じた。Kさんにとって東京をのっとり、首相とも肩を並べた強運の男に対抗できる手段は天皇だった。意識的なのか無意識なのかは知らないけれど、ここに「天皇はすごい力をもっている」という漠然とした思い込みがないだろうか。僕はこの流れにとても怖いものを感じたけど、Kさんも他の役者も、見に来た観客も、べつにそこに触れている人はいなかった。ここにあるのが「内なる天皇制」じゃないだろうか。別に天皇に絶対の信仰はなくても、漠然と天皇の力を肯定している。天皇という存在を神格化している。そこに見えないなにかがある気がする。

宮沢章夫さんの「トーキョー/不在/ハムレット」では、連続する凄惨な事件に恐怖した成年が苦肉の策として小泉純一郎首相宛てに手紙を書くというシーンがある。成年は、はたから見ると少々おかしくなってしまったようにも描かれているけれど、本人は真剣に首相ならこの事件を解決できると信じているように描かれていて、芝居の中でも首相に手紙を書いて送ったことで一安心している描写がある。ここで、漠然とした「権力者の持っている力を信じる」ということが書かれてある。ただ「トーキョー/不在/ハムレット」の場合、そういう力は結局何も生み出さない。手紙についての描写はその後でてこない。おそらく手紙は首相に届く前に検閲で引っかかって処分されてしまったのだろう。で、そういう力のかわりにもっと大きな力が登場する。凄惨な殺人を続ける主人公の恋人である少女は、主人公と連絡が取れないことに悩む。一方で少女の家族は代々、この町では特別な存在なのだということだけを親から教えられているが、しかし特別であるということを町の人に知られてはならないとも言われ続ける。どうして自分の一族が特別なのかを知ることが出来なかった少女は、図書館で偶然ある本を見つけて、自分の一族がかつてこの町にいた隠れキリシタンであるという事実について知ることになる。少女はその偶然に、とてつもない大きな力の作用を感じる。それは首相や天皇が持っていると信じられている「力」とはまた別の種類の「力」の作用。畏怖すべき「力」の存在。僕は「トーキョー/不在/ハムレット」はある意味で、そういういろんな「力」がいくつも重層的に描かれている作品だと感じた。特別な存在というのが、かつてその場所に存在した隠れキリシタンの一族だったというのも何か、それにつながっているように思えるし。

天皇についてはもっといろいろ学びたい。まだまだ知識不足だし。まずは知ることだ。そこから思考が始まる。

話は変わるんだけれども、31日の札幌での結婚パーティーは披露宴とは違うものだといわれて、どうしようか考えていたのは当日の服装だ。普段着でいいのか、多少きちんとした格好をせねばならないのか分からない。で、そのことを確認したら「仮装で来てくれ」という返事が来た。なんだ、仮装って。仮装なんてできない。衣装もなければ、そんな勢いもない。だいたい仮装ってなんだ。人生の晴れ舞台を仮装で祝えってのか。面白いじゃないか。しかしそういうのは無理ですよ、本当に。