東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

札幌の夜と東京の空

そうこうしている間に8月に入りました。とりあえずいろいろな経験をした7月の終わりの札幌への旅について、少し書こうと思います。

7月31日土曜日。札幌に向かう朝。羽田へ向かうモノレールから見えたのは入道雲と青い空だった。そこで、ふと思ったのは入道雲を見ると空が大きく見える理由だ。

いつもは、空が部屋の天井のように平べったい板がずっと上のほうにあるように思えて、雲はそこにただ張り付いているように見える。だけど入道雲は縦にも横にも大きい。入道雲があると平面みたいに見えていた空がとても奥行きのある空間であることに気付かされる。だからなんだか空が大きく見えるのかもしれない。

そんなことを思いながら、羽田空港へと向かった。

羽田空港でKと合流。Kはちょっと疲れていた。なんでも最後の数日間は仕事と見世物の準備で3時間くらいしか眠れなかったみたいで、その上なぜか緊張してあまり食欲がなく、ものが食べれなかったらしい。Kは見事に死んでいた。それはその分がんばってくれたからなのだけれども、それにしてもいい死にっぷりだ。予想をはるかに上回っている。

そんなKと僕は飛行機に乗った。今まで下から見上げていた入道雲の中を通り抜けて空の上まで飛んだ。視界が一変する。今度は僕が入道雲を見下ろしているのだ。この感じをどう表現したらいいのだろうか。あんなに大きかった入道雲がずっと下のほうにあり、そのさらにずっと下に地上がある。入道雲は地上を『何か』から隠しているみたいに覆い隠すほど無数にあった。この視界は一個人の力を越して存在している。ずっと昔の人はこの視界がなかった。飛行機が発明されたからこそ手に出来る視界だ。この時代にいるから僕はこの視界を得ることができる。無数に存在する入道雲の内の一つが作る影の中にいくつもの町が飲み込まれている。入道雲は大きく、人間はやはり小さい。むしろ下から見上げていたときよりも圧倒的な自然の力みたいなものを感じた。そんなことを思いながらただただ僕は窓から外を眺めていた。

北海道は思っていたより暑かった。関東とそれほど変わらなかった。せっかく北海道に来たのだからそれなりに北的なものを満喫したいとも思ったんだけれども、それはできなかった。千歳空港で合流したA管理人と三人で結婚式会場のあるテレビ塔へ行く。結婚するWさんからは仮装で来いと言われたけれども、いや、そんな簡単に仮装などできない。結局僕は浴衣に下駄で出席。Kは自分で作ったドレスで、A管理人はそのまんまの普段着で出席した。Wさんの同級生で僕達の先輩に当るYさんは全身ロリータファッションで現れて、他の参加者の度肝を抜いていた。見世物はまぁ無事に終わった。結局練習もできず、ところどころ失敗したところもあったけれども、KやA管理人がきちっと画像を作ってきてくれたので、見世物としては完成していたのに救われた。Wさん、新郎のFくん本人やご両親のいる前ですごくめちゃくちゃな見世物をしてしまったけれども、まぁ楽しんでもらえたのではないだろうか。KとA管理人の二人には本当に感謝。何回か死んだのだろうけど、いいものを作ってくれた。

結婚式っていうのは本当にいい。みんなとっても幸せそうだ。今回一番よかったのはWさんのお父さんの挨拶だった。ちょっとしたエピソードを話しただけなんだけど、それが本当によかった。お父さんっていうのは自分の娘のことをやっぱりきちんと見つめ続けているもんなんだろう。そんなことが垣間見える話だった。

あと個人的にうれしかったのはWさんのお母さんと話ができたことだ。Wさんのお母さんとは大学1年生の時に1度お会いしたことがある。かれこれ7年以上経っていたのだけれども、向こうがこっちを覚えていてくれた。とてもうれしかった。また遊びに来なといってくれるのもうれしかったけど、何より嬉しかったのは、僕達の顔を見て、とてもいい顔をしてるよといってくれたことだ。自分がやりたいことをやってるって顔をしてる、もっとどんどんやりたいことをやりな、それで困ったらいつでも遊びに来なといってくれるお母さんは、けっして押し付けがましいというわけでもなく、かといって言葉だけそういっているわけでもなく、『本当に』言ってくれている感じだった。とても嬉しかった。ついでに、松瀬君、もうちょっと何かしてくれるかと思ったよ、と出し物のダメだしもされた。つくづくいろいろはっきりといってくれる人だ。

結婚パーティー、2次会、3次会と進み、A管理人は以前と同じように酔っ払っていろんな人にアンディ節を炸裂させていた。2次会が終わって外に出た時、ふと見上げた空に満月が浮かんでいた。そういえば最近雲ばかりみて月を気にしてなかった。札幌すすきのの土曜の夜は12時を過ぎてもまだ終わる気配はない。ネオンが輝いて繁華街の街は騒々しかった。その光り輝くビルのすこし上の方で忘れ去られたみたいに満月はあった。だけど満月はやはりきれいで、ネオンの光から離れた暗い空に、それでもネオンの光よりも明るく輝いていた。3次会へ引っ張られるわずかな間、ネオンや喧騒から離れて、満月を見た。本当に少しの時間だけ。

次の日はKとA管理人といろいろなところにでかけた。北海道のいいところは札幌でさえ、30分も車を走らせれば山や川に行ける事だと思う。あとやっぱり渋滞がないのがいい。同じ距離を走るのに東京だともっと時間がかかってしまう。北大の植物園。定山渓ダム。ついでに定山渓の温泉にも入った。道中くだらないこともしゃべった。北海道の町の名前でどれが一番いいかというひどく漠然としたテーマで盛り上がった。例えば帯広はどうも帯という漢字やビの響きがちょっと良くないとか、ニセコやルスツってカタカナに置き換えるだけでなんか勝っているとか、そういうこと。なんとなくそう思うみたいなことをしゃべりあった。学生時代もよくこうやってくだらないことを話しながらドライブをしていた。話の内容なんてもう忘れている。ただどこそこへ行ったという事実だけが後になって残される。思い出される。ああ、そーいえば行ったね、こんなこともあったねみたいな話になる。あの頃のことを、しきりに思い出すのはやはりあの時代が楽しかったからだ。でも、だからってじゃあ今帯広に戻ったり、大学に入りなおしても、あの楽しさは再現されるかといえばそれは別だろう。確かに別の人との出会いはある。別の楽しさはあると思う。だけどきっとあの頃にあった人たちと、あの時にやったいろんなことにはかなわない。昔のことの再現はきっとできない。だから前に進まなくてはならないのだろし、僕もそのつもりだ。

A管理人ともKともいろいろしゃべった。芝居のこと。これからのこと。昔のこと。いろいろ。こうやっていろいろしゃべれたことは本当によかった。まだいろいろ考えなくてはならないことがある。ゆっくりすこしづつ考えていこうと思う。A管理人は結局、千歳まで僕達を送ってくれた。結局朝から晩まで車でいろいろ連れて行ってもらった。本当にありがたい。

帰りの飛行機。ずっとKとしゃべっていた。いつの間にか飛行機は東京の上を飛んでいた。窓の外を見るといろいろなところで光が輝いている。僕はそれを見ると、なんだか少し気が抜ける。空から見たらちいさな、見落としてしまうような光の一つ一つに、僕が一度も会ったことない人が生活していて、きっと僕と同じようにいろんな面白い人生を送っている。一体どれほどの人のどれだけの喜びや悲しみがこの光の中にあるんだろう。そんなことを思うと見渡す限りの夜の光に圧倒されてしまう。軽い虚脱感がある。

終電間際の電車。祭りの後のような、夢から醒めたような気分になる。もう北海道にはいない。本当にあっという間だ。電車を降りて自転車に乗る。さすがに0時を回った街はすでに静かで、月曜日のために備えているよう。まだ少しむっとする熱の名残がある風が、自転車を漕ぐ速さで僕の周りにまとわりつく。ふと見た空に、昨日札幌で見たのと同じ満月があった。

僕達は繋がっている。満月は札幌にも東京にもどこにでもある。どこにいても僕達はどこかでつながっていられる。実際に会ってなくても、連絡をとってなくてもきっとどこかでつながっている。それはきっと時間も越える。僕の過去はこの先につながっている。僕が経験した喜びや悲しみ、出会いはきっとこの先にある『何か』につながっている。時間や距離も越える。満月を見てそう思った。本当にきれいな満月だった。

そうして8月になった。7月は終わった。次はいよいよ9月のリーディング公演。今日からいよいよ書き始めた。役者も少しづつ声をかけていく。まだ夏は終わらない。