東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

美しさを超えて映る半島

ここ数日雨が続いている。もはや秋雨だった。夏が終わったことに対して自覚的だった日があったものの、こうもはっきり秋を感じさせられるとそれはそれで、物悲しい気分にもなる。物悲しいといえば、今朝コンタクトレンズを割った。今、メニコンで今宣伝をしている定額制コンタクトのお試しをしている。それまでソフトコンタクトをつけていたのだけれども、目にもいいからとハードコンタクトを進められて、かれこれ3週間ばかりつけていたが、やはり異物感がおさまらず、今朝着けるときに結構ムキになってレンズを洗っていたら割れてしまった。お試し期間中なのに割ってしまった。これはどういう風になるのだろうか。弁償はつらいなぁ。定額制コンタクトに加入するから、割ったことはチャラにならないだろうか。今度聞いてみることにする。

お世話になった銀座のギャラリーYさんからいろいろと勧められた。物書きを目指すならもっといろいろ見るべきだからと。覚書として書きとめておきます。
・アンゼルセン全集。岩波文庫からでている。ここに書かれている作品群はどれも素晴らしいそうです。
ロマン・ロランジャン・クリストフ』。賛否両論はありますが。
ミヒャエル・エンデ『モモ』等。
確かにどれも興味深い。とくにアンゼルセンは是非読みたいと思った。あと近代美術館を勧められた。明治時代初期の日本の近代化は世界的に見ても、驚くほどの早さだった。それは各国で研究されるほどのものでまさに進歩といえた。考えてみたら、それまで藩体制で藩の外に出ることさえも厳しい時代であったのが、いつの間にか他の国々と肩を並べる国に発展し、数年後には清を、そしてロシアを倒すわけだから、他の国からしたら驚異だったはずだ。一方で、その近代化のために江戸時代まで続いた日本古来の文化のいい面が失われてしまったのも事実。いや、失われたのではなく、芸術家の目も海外の文化に向かってしまった。それの全てが悪いわけではないけれども、その時、海外の文化の表層だけしか見てない日本の芸術家による陳腐な物真似作品が大量に作られたとしたら、それはあまり良いことではないのかもしれない。その辺に対してYさんは近代の芸術の軽さを感じているらしい。近代美術館の常設展に、その辺の作品が置いてあるそうだ。その作品をどう捉えるかは個人の自由だとは思うけれども、一度見るといいと言われた。近代初期の海外の芸術への憧れが起きることは当然だと思う。重要なことはそこにどう取り組んだかではないか。そういう流れがあったからこそ、今一度日本に立ち返ろうという動きもあったはずで、それは坪内逍遥らによる近代文学の誕生に繋がったはずだし。あと信濃町にある文学座という劇団のアトリエを見に行くことを勧められた。劇場としてだけでなく、一つの建築作品として非常に優れているそうだ。曰く、日本にある劇場の中で最も美しい建物のひとつだそうだ。そう言われたら見に行かないわけにはいかない。必ず行こうと思う。

あと、中上健次さんが大好きだと言ったら、「ならば熊野や新宮には行っておくべきだ」と言われた。本当にそのとおりだと思う。百聞は一見にしかずではないけれども、熊野には是非行きたい。大和時代の昔から続く神々の山地がある場所。山と海に面した町。京の都に隣接していた場所。中上健次さんが育ち、作品の舞台になっている場所。2年前に京都を旅して感じた京都の世界。京都に行ったのは小学校の修学旅行以来だった。2年前、修学旅行の時には感じなかった歴史の重さを感じた。東京しか知らなかった僕は、せいぜい江戸400年くらいの歴史の世界にいたのだけれども、京都の歴史は長い。それこそ1000年。その歴史の長さのようなものを少し感じた。それは何も京都だけに限ったことではなく、関西圏に入ってから、どこか関東とは違う質感をおぼえた。そういうことを感じることができただけでも旅は有意義だとおもったし、だからこそ熊野に一度行きたいと思う。中上健次さんの文章から知ることが出来る和歌山県を、もっと肌で感じたい。より一層その思いが強くなったのは中上健次さんのエッセイ「夢の力」(角川文庫)を見たから。

すごいなぁと思う本に何度も出会う。寺山修二さんの「誰か故郷を思わざる」や高野悦子さんの「二十歳の原点」、そして中上健次さんの「夢の力」もまた一生読み続けたい本になった。まだ途中までしか読んでいない。と、いうのも書かれている内容が難しいからで、一度読んだだけではほとんど理解できないと思われる。自分の節目節目に何度も読み返そうと思う。一度読んだだけでも強烈だったのは「美しさを超えて映る半島」というエッセイだった。自分が生まれ育った紀伊半島について書かれているのだけれども、それがすごい。所々を引用してみる。

『半島と言えば、私には自分の生まれ育った紀伊半島だが、去年一年何度もその半島を車で走り回り、汽車でまわり、その度に別な顔をみせているのを知った。ある時、半島のことを英語でペニンスラと言うのを思い出した。一種象徴的である。それを人はなんと呼ぶか、男根、恥部、ことごとく私には紀伊半島を形容する言葉に見えた。それは付属物と言えば言えるし、明らかになくても生き死には関係ない。だが脳も内臓もそれに影響を受ける。そしてイベリア半島シナイ半島朝鮮半島、そう考えてみると半島なるものが、この現実の火薬庫として在ることが見えてくる。半島は爆弾でもある。』

これですっかり半島の見方が変わってくる。そして次に半島で暮らすということに言及していく。

『海に腹をさらし、山に背を向けているのが半島の生活の意味であるが、(中略)、私の生まれ育った町新宮では背にしているのが熊野の山々だった。際立って高い山々があるわけではない。だが、岩肌の露出した山は深い。波音がその山に当たり、はね返って山と海のそこに渦巻く。半島とは海の生活と山の生活が混じったところである。』

そうして半島で暮らすことについて書いたあと、いよいよ核心へと向かう。

『半島ではほどほど、中庸がない。なにもかもむき出しである。貧困は貧困のまま、日本的自然の帰結である差別は差別のまま、被差別は被差別のまま。半島を車で走り、風景を眼にする私には、美しさそのものもむき出しに映る。その杉木立が日に当たっている風景、渓流の水が岩にしぶきを上げ、紅葉の始まった樹木がある風景がちょっとならまだよい。どこを見ても、どこを切り取って額に入れても美しい絵になる美しい風景は、私の眼には美しさを超えて別のものに映るのである。』

そして結論へたどり着く。

『風景は風景という枠組みを超え、自然は自然という枠組みを超え、宗教のようなとしかいいようのない感情を人の心にもたらす。その事物の氾濫、美しさの氾濫を統べるものは何もない。輪郭が溶け、岩の内実、日に当たる草々の内実が入り混じったように見える風景は、ここでは日の当たって輝いただけの闇だとしか言いようがない。天土が分かっていらい書き言葉、詞によって治めた天皇の都が、けっして紀伊半島の中ではなく、大和・京都だったことが理解できる。ものを見る人間に、半島は本質的に無政府である』

半島の、熊野の、新宮の持つ魅力。中上健次さんが何度も舞台にして作品を書いた世界。そこにいつか行ってみたいと思う。