東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『撮影で考えた』

■ 昨日、谷川さんと映像の撮影をしてきた。


■ 池袋で待ち合わせてから山手線で新宿へ。その車中でいくつか風景を撮影してから、新宿駅のプラットホーム、改札、切符売り場などを撮る。


■ 難しいと思ったのは、自分の持っていたイメージとカメラを通して映る画面に違いがあること。まぁ画面に映っているものの方が実際の風景であって、僕のイメージは以前見た風景から「こういう画が撮りたいな」と想像したものなので、それを実際に撮影しようするとうまくいかないことは分かる。もともと今回はそういう事前に持つイメージはできるだけ無しでいこうと思っていたし。


■ それでも苦心したのは、自分が目にする実際の風景とカメラのフレームに収まる風景の食い違いだ。人の視界は結構広い。で、その広い視界の中で人はある点に焦点を合わせて何かを見るわけで、視覚に入るすべての風景をきちんと見ているわけではない。つまり実際に脳が認識している風景とは「目の前にあるありのままの風景」ではなく「自分の焦点が定まった(それは意識と無意識がない交ぜになって切り取った)風景」のはずだ、多分。だから全てを「ありのまま」に映すカメラと自分の見える風景にはやはり食い違いが生じる。カメラはあくまで取り付けられているレンズの範囲内を決められたピントでしか映さないもので、人間みたいに眼球が動かず、焦点がない、ものである。しかし、そういう「意識」がない風景を切り取れることこそカメラの魅力であるし、今回はまさにそれを意識して駅や新宿を撮影したいわけだ。しかしこうまざまざと「自分が見ている風景」と「ありのままの風景」との違いを見せられてしまい、なんというかそういった違いへの意識があまりなかった自分に撮影して初めて気づいたといった次第で。


■ 僕が甘かった。撮りたいものは目の前に沢山あった。でもそれをうまく切り取れない。


■ それでも電車に関する撮影は割りとうまくいったと思う。まだ自分の中で撮りたい風景がしっかりしていたからかもしれない。しかし新宿に関してはただ歌舞伎町や西新宿のビル街などを撮ろうと決めていただけで、それがきちんとした画として決まってなかった。いや、それはそれでかまわないのかもしれないけど、アンテナをきちんと張れずにただ歩いただけになってしまい、谷川さんにうまく指示できなかった。それに歩いていたらなんだか熱中症のようなものにかかったのか、ちょっと頭がボーっとしてしまった。谷川さんは暑い中、僕の拙いイメージだけで新宿の風景を映そうとカメラを廻してくれた。西新宿のバスの風景を撮ろうというのは谷川さんの案だったし、僕もいつも通っていた道に普段まったく意識していなかった巨大な煙突のようなものがあるのも教えてくれた。


■ カメラのバッテリーが途中で切れてしまい、撮影は途中で中断になったけどそれはむしろよかったのかもしれない。新宿に関してはもっときちんとした「カメラの目線での風景」を考えておかなくてはいけないと思った。少なくとも「風景を切り取る」ことは谷川さんに一任するとしても、もっときちんとしたイメージを伝えてあげなくては。だから台本とかも書かなくてはならない。


■ その後、喫茶店で少し今後について話す。それでまだ全然手をつけていなかったいろんなことをいよいよきちんと考えなくてはいけないと痛感。大事なこともないがしろにしている自分がいるのだ。やらなきゃならんことがいっぱいある。頭もボーっとして弱っていたので、なんだかとても不安な気分になった。


■ 谷川さんはその後、お手伝いをしている劇団の稽古に向かった。お疲れ様です。僕はあまりにも疲れてしまい早々に帰宅。同い年なのにちょっと歩いただけでやられてしまい、そんな貧弱な自分に情けなくなった。これしきのことで弱っている場合ではないのに。タフにならなきゃならん。人間最後は身体がものをいう。