東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『喩える人』

■ ネットのニュース記事を見ていると

「<アサヒ>スーパードライ、発売19年で東京ドーム25杯分」

という文面を見つけた。


■ この記事に限らず、とかく人は喩えがちになるもので
「これ1本でレモン5個分のビタミンC」とか
「一日コーヒー1杯分のお値段で生涯安心の生命保険に」とか、果ては
「人間の血管の全長は、地球ふたまわり半もする長さになるのです」
といった「そう喩えて何になるのか」ということまで、まぁいろいろと喩えられている。


■ もちろん、こうやって喩えられることでふと見方が変わることもあるわけだし、そのものに対するイメージも容易に得られることもある。それは「なんとなく」の成せる技だろう。ただこの「なんとなく」がやはり曲者で、じゃあ東京ドームが何杯も埋まるくらい販売するビールは結局なんなんだということになる。それは「良いもの」で、埋まらないものは「悪いもの」か。そんなことはない。一面を分かりやすくしてくれる指標は、その他の部分を見づらくすることもある。物事の本質はたった一つのことで決定されるものではない。うがった言い方ではなく、ひとつにことだけに捉われないモノの見方が必要なんだろう。


■ ただ、この「東京ドーム何個分」っていうのは頻繁に用いられる喩えだけど、例えば大阪の人としては「甲子園で喩えんかい」とか思ったりするのかな。関東でだって野球にまったく興味がない人は「できれば両国国技館で喩えていただきたい」とか言う人はいないのだろうか。水力発電に精通している人なんかは「黒部ダム何杯分になりますかな」とか思わないのかな。まぁそこまでいくと人によって認識に差がありすぎてもはや「喩えてない」ことになってしまうのかな。


■ 昨日のこと。不意に以前同じ職場で働いていた方が遊びにきて、仕事後に遊びに行くことになった。お台場のボーリング場へ行く。ボーリングは集中力の勝負だと思う。僕は2ゲーム目まではある程度がんばれるが3ゲーム目はもう話しにならなくなる。集中力なさはこんなところでも露呈する。あと、僕は投げ方がうまくなく、ボールがまっすぐにしか行かないのでピンアクションが起きづらい。ガーターはそれほど出さないけど、かといってストライクもでにくい。スペアでうまく拾えてなんとか130いくくらいだ。横で190とか記録されると呆然とする。そして今日は手首が痛い。まぁでも楽しかった。