東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『モアイが立っている』

■ 土曜日に会った知人の一人が南米のチリやイースター島に旅行に行った感想を聞かせてくれてから、ちょっとイースター島に興味を持った。


■ その知人曰く、「モアイだらけだった」というのは、まぁ当然といえば当然の感想なんだと思うけど、とにかくイースター島にはモアイが多かったそうだ。


■ 意外だったのが、モアイが頻繁に作られていたのは14〜15世紀ごろなのだそうで、つまり日本で言うところの室町時代とか戦国時代とかなのだろうか。わりと最近な感じ。まぁこの辺も諸説色々あるのだろう、このサイトなんかではモアイは7世紀ごろから作られ始めたといっているし、他にも鎌倉時代に作られたとかいろいろ言われているそうでして。ただ、まぁ、それは当然僕の無知によるものなんだけど、モアイ像ってインカ帝国とかなんというんですかね、そういう超古代文明的なものだとばっかり思っていたから、そう考えると実は結構最近なのだという感じでして。少なくとも奈良の大仏よりは新しいものなのだから。それはちょっと意外だった。


■ まぁそれほど古くないモアイやイースター島に関する出来事の謎が解明されないまま今日に至る理由が、諸外国による奴隷狩りによってイースター島に住む人たちが外国に連れて行かれたことによる人口の激減や、おそらくそういった人や物の移動で、島に入ってきてしまった伝染病が島にいる人たちをほとんど死に至らしめたことによって歴史の伝承者がいなくなったためというのは、あまりにも人的要因で悲しいことだなと思うが。


イースター島にあるモアイ以外の鳥人伝説や食人にまつわる儀式という話も実に興味深く、わずか180平方㎞しかない孤島は、むしろそうやって完全に外部と断絶していたからこそ人間という存在が濃縮されているような歴史を経て今に至っているように思えてくる。そしてその歴史が、文化の発達によって外国との交流が可能になった時代に閉じられてしまったというのはなんともいえない皮肉のようにも感じる。


イースター島にはモアイが沢山あるらしいのだけど、そのほとんどが倒れているそうだ。なんでも18世紀頃に、イースター島内の対立しあう部族間でフリモアイ(モアイ倒し戦争)という争いが起こり、その争いが起こるたびに戦いに勝利した部族は、負けた部族が作ったモアイを倒していったのだそうだ。負けるとモアイが倒される。壮絶な戦いだ。倒されたモアイのほとんどはなぜだかうつぶせのものが多いらしいのだが、申し訳ないがどれほどの壮絶な戦いがあったのかはさだかではないが、うつぶせに倒れているモアイの写真はなんだか笑える。このサイトではこれでもかってほどうつぶせのモアイの写真があるのだけど、悲しいほどうつぶせでちょっとおかしい。さらに立っているモアイの写真も盛りだくさん。立っているモアイも、ただそこにいる感じがなんだか滑稽だ。


■ 当然、何かの信仰によって今のモアイはあるのだろうけど、僕の憶測ではモアイが神格化されたのは実はモアイが最初に作られてからずっと後だと思う。はっきり言って狭い島だ。かつての人たちは朝起きて、ご飯を食べて、ちょっと運動しても、きっと時間が余っていたのだと想像する。きっと最初の人は、単に暇を持て余していたから、なんとなくモアイを(というか土で人形を)作ってみたのだろう。そうこうしていると「俺の方がかっこいいの作れるぞ」とか「俺のモアイの方がいいもんねー」とか言い合ってモアイ作りが仲間内で盛り上がっていったのかもしれない。そういった技術の競い合いがやがて芸術に昇華していったりしたのかもしれない。


■ で、イースター島は土地はやせていて、年中強風が吹いているような人にはやさしくない土地なのだという。果実や農産物が取れない年もあったのだろう。そんな時期に、きっとモアイに何かしらの信仰を捧げてみたのではないのか。そうやって信仰が出現してから、モアイを作るという『行為』に『目的』が備わった、もしくは『目的』が暇つぶし→芸術の対象→信仰の対象へと変わっていったのではないだろうか、とそんな憶測。先に上げたホームページでも述べているが、作られるモアイがどんどん巨大になっていったのは、そういう風に『目的』が信仰に変わっていったからではないだろうか。


■ おそらく物事の大半の始まりは『行為』が先にあったのではないだろうか。そして『目的』は後から付けられるものなのではないか。ふとした思い付きが新しい何かを生み出していくのではないか。だからって別に軽んじるとかそういうわけではなくて、きっと物事のきっかけなんて極々些細なものなのではないかということなわけでして。


■ それにちょっと関連することで昨日、『動物奇想天外!』というテレビ番組を見ていたのだけど、幸島という宮崎県沖の近海にある孤島に住む野生の猿の特集をしており、外敵がほとんどいないこの島に住む猿の生態で興味深いことをやっていた。猿のイモ洗いという行動があり、それはイモについた砂を海水で洗い流すといった行動らしいが、20年前ぐらいの調査では確かに丁寧に水をつけて洗っている猿が目撃されたそうだけど、今の猿はゴシゴシ洗ってはいないそうだ。今は海水にイモを浸しておく程度らしい。研究者の人によると「洗う」という行動から「塩味をつける(味付けする)」行動にこの20年で変化したそうだ。これもまた「行動」だ。たまたま海水で洗ったイモが塩味で、なにもつけずに食べたイモより美味しいと感じたのだろう。


■ さらにこの島の猿は魚を採って食べるそうだ。他の土地に住む猿は魚を食べる習性がない。周りを海に囲まれて、冬は食料が少々乏しくなるという性質の島に生息しているという環境が、猿のそういう「行動」をたまたまうながしたのだろう。これを進化というのかはよく判らないけど、猿は少なくとも魚を食べるという「行動」を獲得したわけだ。これもたまたまだ。食べるものが少なかったから魚を食べただけだ。そのうちもしかしたら偶然、山火事が起きて、それで偶然魚が焼けて、それを食べたら美味しかったから、それ以後、なんとかして火を起こして魚を食うことになったなんてことがあるのかもしれない。


■ 話がいろいろ逸れたけど、まぁ、イースター島にせよ、幸島にせよ、外部からの介入のない孤島というのは、当然それ自体は特殊な環境というべきなのだろうけれど、面白いことになっていると思った。