東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

東京の果て『美しい東京はない、東京の美しさはある』

■ 6日(火)。映像の谷川さんと照明のSさんと公演の会場である六本木EDGEというライブハウスにスタッフごとの打ち合わせに行った。舞台で照明を使っても映像を映すことには支障がないらしいので安心した、のもつかの間、映像用のスクリーンをどうやって吊るすかという問題が浮上。その手のことにはまったく知恵がないので谷川さんと2人でぼんやり呆然とする。


■ ただ、狭い狭いと思っていた舞台上の役者のアクティングエリアが、改めて測りなおしてみたら意外と広いことが判明。まぁバンドのメンバーが常に舞台の後方にいることになるので、奥行きの自由は利かないけど、前方の空間でなんとか形を作れる気がしてきた。そういったわけで収穫と課題がたくさんあった。


■ それからSさんと別れて池袋へ向かい、夜は芝居の稽古。若者2人のシーンと、父と娘のシーンの稽古をする。父の動きをあれやこれやとつけていくと、どんどんでたらめな具合になってきた。楽しいからついついでたらめを加えすぎてしまったけど、まぁそのおかげで父親の、そしてその空間に流れる空気の急激な変化がわかり易くなった気がする。ただ、まぁあまりにも行き過ぎてしまっていて、そこまでやってしまうと単に頭の悪い父親が出ているだけになる可能性があるので、うまいこと調整していく必要はあるけど。とにかく方向は定まった気がする。


■ 若者2人のシーンを見ていて、なんとなく気になっていたことがあったのだけど、昨日谷川さんと話していたときにある指摘をしてくれて、それでその違和感の原因に気づいた。それはそれぞれの役者の発話の仕方の違いだった。この2人、片一方はとてもはっきりとした声でしゃべり、もう一方はボソっとしゃべる感じだ。基本として、声が通るというのが役者にとって望ましいのは分かる。客席に声が届かないのはよろしくない。ただ、常にいい声で台詞をしゃべられるとそれはそれで気になってくる。逆に終始ボソボソとしゃべられてもやはり困る。で、そういった発話の仕方が違う2人の会話はどうもチグハグな組み合わせに見えてくる。二人の会話を聞いていて、どこか噛み合ってこない感じがしたのは、おそらくこういった発話の仕方の根本的な違いによるものだと思う。で、今回はいい声を発する役者の方を抑えてもらった。台詞を聞いていて、どんな台詞もどこか常に鮮明な感じに聞こえていたのが今回はちょっとそぐわない感じがしたからだ。当然、はっきりした声が悪いというわけではなく、その特徴を活かしてもらいつつ、それを抑えて欲しいところでは、また別の発話の仕方を考えて欲しいということでして。


■ 自分が台本を読むときどういう風に発話しているかということを意識してみるということは役者にとって非常に大切なことだと思う。ちょっと悪い言い方をしてしまうと、発話の仕方って人それぞれの『癖』だと思う。だけど『癖』は弱点ではなく、その人にしか持つことができない魅力だ。自分がどういう魅力を持っているのかということに自覚的であるということはきっと大事だ。で、今回の芝居に関してだけで言うと、この『癖』を存分に出してもらう人もいるけど、抑えてもらう人もいる。理解して欲しいのは、抑えてもらうというのは、単なる抑制ではなく、僕としてはその人に『癖』とはまた別の魅力でもって今回の役を演じてもらいたいと思うからで、そこを固めていくことは役者にとってはきっと大変だと思うけど、それがうまくいけばすごくいい感じに芝居が作れると考えている。


■ 7日(水)。日中に横浜の大学生Tくんと東京で待ち合わせ。この前Tくんと話してるときに、今回の公演に、直接ではないけど、写真という形で関わって欲しいとお願いしたら快諾してもらったので、その撮影に同行することになった。撮影場所は東京駅から千代田区周辺ということに決まりフラフラと歩いてみる。東京駅、ステーションホテル、それから皇居へ。初めて皇居の中まで入ってみた。無料で見学できるとは思わなかった。外国からの観光客がやけに多い。一眼レフデジタルカメラを抱えたTくんはいたるところでパチリパチリと写真を撮っていた。


■ それから九段交差点で靖国通りを神保町方面に向かってみると、九段下ビルというなんとも魅力的なビルを発見し、そのビルに入ってみた。入居している会社もいくつかあるのだけど、なんだか廃墟のような様相で、そこだけ時間が止まったような感じだった。ここでもTくんのカメラはめちゃくちゃカシャカシャいってた。


■ それからさらに足をのばして後楽園遊園地へ。東京ドームシティホテルの最上階43階までエレベーターで昇り、空から東京の風景を撮ってみた。ビルや家がどこまでも続く。ちょうど陽が傾いてきた時間で夕日がとてもきれいだった。遊園地は楽しいけど、なんだか無性に寂しい気分にもなる。そういった寂しさはTくんが撮ってくれた写真からも見てとれた。何で遊園地は寂しい気分になるんだろうねと二人で話してたら、Tくんが「きっと全て人の手で作った場所だからですよ」と言った。その通りだと思った。


■ この写真は、Tくんに台本を読んでもらった印象を元に撮影してもらってるけど、別に直接芝居と関わるものをというわけではなく、もっと東京という街に焦点をあてたものにしてほしいとお願いしている。その注文が分かりづらかったらしく、もっと具体的に何か要望ありませんかと聞かれてしまい、そう言われると説明下手な性分の自分としてはかなり困ってしまい、ふと、ある言葉を思い出し、うる覚えながらそれをもじって説明してみた。

「美しい東京はない、東京の美しさはある」

確かその言葉は「美しい花はない、花の美しさはある」だったと思う。ひょっとしたら間違ってるかもしれない。とにかくそれを都合よくもじってみた。端的に説明するとそういうことなのかなぁーと思ったからだ。まぁ、当然だけど、そう言われたTくんは「・・そうですか」と未だ掴めておらずといった反応を返してくれたわけだけど。その後にあの手この手を駆使して説明をしたところ、ある程度撮影の方向性を見出してくれたようだった。こっちもいい作品ができるといいなぁと思う。すごく楽しみ。ただ、まぁ撮影は楽しかったけど結構歩いたので疲れた。