東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

東京の果て『手を水で洗う動き』

■ 稽古場を借りる申請をするために荻窪へ行った。帰りにこの前見つけた駅前の古本屋に入る。どれもこれも読みたくなる。我慢しきれず3冊ほど購入してしまった。古本屋さんは楽しい。


■ 13日(火)。この前とはまた別の世田谷区内の稽古場で稽古。そこは中央道の高架下にある稽古場で、これがものすごく「ひっそり」と存在している。最寄り駅から稽古場に行くためには一部舗装されていない道路を歩くことになるのだけど、その道は歩くことが躊躇われるくらい暗い。いやはや東京23区内とはいえ、いろんな場所があるもんだなぁと思う。


■ 稽古は、ある風俗嬢のブログを女性の役者たちが読むという箇所をやった。ある風俗嬢のブログと名前を伏せているのは、単にそのブログを書いている人になんの許可も貰ってないからで、戯曲を書いている段階でとりあえず連絡を取ってみようと思ったのだけど、メールの送り方がいまいちわからず、かといってコメント欄に「どうも、こんにちは。あなたのブログを芝居で使わせてください」と書くのがあまりにもいきなりすぎて非常にためらわれてしまい、そうやっていい方法が思いつかないままズルズルと今日にいたってしまったわけでして。こうなってくると、もうこそっとやっちまおうかなぁと思ってしまったりするわけでして。よくないとは思っているのですが、はい。


■ で、そういったことをうっちゃっといて、このシーン、最初は単に日記を朗読してもらおうと考えていたのだけど、いろいろ思うところあり、稽古のたびにちょいちょい変更していき、昨日の稽古では朗読をやめて、ある程度動きをいれながら、語ってもらうという風に変更することにした。朗読じゃなくなるから役者に日記を覚えてもらう必要も出てきて、申し訳ないなぁと思ったけど、がんばってください。


■ 語りながらやってもらう動きでは、手の動きを重視してもらうことにした。イメージは水で手を洗っている感じ。なんというか、そういった仕草が僕にはとても女性的な気がするからでして。特に決まった振り付けをつくるわけではなく、滑らかに動かすことを意識してもらいながら動いてもらう。この、手を滑らかに動かしつづけるというのが結構大変そう。そのうえ、役者が動かす手の早さがそれぞれで違ったり、手を動かすふり幅が違ってくるとどうも気になってしまい、そういったところを調整していく作業が今後必要だと感じた。ただ、個人的にはなんとなくいい方向に進んでいくのではないかなぁと思った。このシーンではさらに「アカシアの雨が止むとき」のかげわたりリミックスが演奏されることになっていて、それを想像するとなんだか勝手にわくわくしてくる。


■ それから若者2人のシーンの稽古。芝居の始まりにある新宿駅のシーンと、後半の新宿の路上でのシーン。このシーンの間に半年間が過ぎているという設定にしている。この半年間という時間の経過がもたらす2人の関係をどういう風に作っていくか。とりあえずまずは読んで動いてみる。2,3回やっていたら稽古が終わりの時間が来てしまったので、最後に半年間という時間を意識してここのシーンを作りたいといった旨を役者さんに説明してみた。


■ 夜10時稽古終了。やけに怖い道を駅に向かって歩く。そこは富士山がよく見える場所というところからつけたと思われる名前の街で、駅前の道は確かに眺めが良さそうな坂道になっている。世田谷。文字から読めばかつては田んぼと谷が多かったと想像できるその土地。うねうねとして入り組んでいる路地やこういった坂道からそういったかつての面影を少しは感じることができる気がするが、今では立派な住宅街。すっきり晴れた日中にこの街を歩いてみたら、富士山はどういう風に見えるのだろうか。そんなことを考えながら見上げた夜空にはきれいな星がでていた。