東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『ブロークバックマウンテン』

■ 休日でも土曜の埼京線の上り電車は大概混んでいる。とはいっても平日の朝ほどではないのになんだか今日は微妙に肩が触れるくらいの距離に人がいるのが辛かった。窓の外に目をやると所々に桜の木が見えた。もう満開。なんでも桜は今日が見頃だとか。明日には西日本の方から流れてくる雨雲のせいで雨が降ってしまうらしく、花が散ってしまうとか。


■ 渋谷はえらく混んでいた。土曜だし、暖かいし、混むのも当然か。そのまま家に戻らずに夜勤で職場へ行くつもりだったので傘を持って行ったのだけど、快晴の渋谷を一人傘を持って歩くっていうのはどうも変な感じ。それにしても渋谷は人が多い。新宿にしたって有楽町にしたってどこも人は多いけど、それぞれの場所でどこか違う印象を受ける。渋谷は他の場所と違ってなんだかいつまでたっても慣れない。ハチ公口の前にある喫煙場所はいつも人がたくさんいる。路上には吸殻が落ちている。タバコの葉から搾り出したような液体が路上を茶褐色に染めている。空き缶やペットボトル、配られたチラシの屑がそこら中に落ちている。募金をお願いしますと道行く人に声をかけている人がいつも立っている交差点がある。そういう場所を通ると、なんだかいつも気分が重くなる。でもそういう場所が僕にとって渋谷の一つの風景として連想される。


シネマライズアン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』を観た。映画の日で、しかも土曜だったので混んでいるかと思ったけどそれほどでもなかった。イニスとジャックは一線を超えてお互いを想い合う男同士。常に一緒にいたいと想うジャックに対して、踏ん切りをつけることができないイニス。それは保守的な土地に自分たちがいるという意識と、かつて男同士で愛し合っていた内の一人が町の者の手によってなぶり殺しにされた死体を見てしまったという過去の経験に拠る。20年に及び交流を重ねたものの、2人の思いは結局擦れ違ったまま。やがてイニスの元にジャックが死んだという報せが届く。事故死だという報せを受けたにも関わらずジャックが町の者になぶり殺しにあって死んでしまうというシーンを連想してしまうのは、イニスの中にジャックとの関係が決してこの社会では許されるものではないという思い込みの強さを伺わせる。


■ ジャックの故郷を訪れたイニスがジャックの部屋の中で見たものは、初めて2人が出会った時から、ジャックがイニスを想う気持ちがまったく変わっていないことの証だった。しかし強いジャックの想いを知っても、まだイニスの世間に対する意識は完全には変わらない。その意識が変わったのは、イニスと離婚した妻の元で暮らしている娘が彼の家を訪れた時だろう。19歳になった娘は1年ほど付き合った男性と結婚する旨をイニスに伝える。あまりにも唐突だし、わずか1年ほどの交際で結婚を決めようとする娘にイニスは「その男は本当にお前を愛しているのか」と問いかける。娘ははっきりと「愛してる」と答える。まさにこの時に、イニスの意識は変わったのではないだろうか。この娘の結婚は別れた元妻も反対しているのかもしれない。まだ若い2人だし、付き合った時間も短い。イニス自身、娘の愛の意識に疑問を感じたからこそ、さっきのような質問を投げかけたのだろうし。しかしそれでも娘は揺るぐことなく、自分の意志を貫こうとする。確かに娘を取り巻く状況をイニスとジャックの関係と比較することはできないだろう。だけど、イニスはこの時初めて娘から、世間や周りの目に怯まない強さを、それはジャックを心から愛しながらもどうしても自分が持つことが出来なかったもの、まさにそれを教えてもらったのではないだろうか。だから彼は、自分の仕事(仕事はイニスにとって社会と自分をつなぐ重要な象徴として描かれている。仕事を理由にジャックと会うことを断るのは、つまり2人の関係よりも社会を重要視する態度の表れだった。ここにきて仕事を休むという態度によって初めてイニスは社会から解放される)をなげうって娘の結婚式に出ることを決断したのだろうし、初めてジャックの形見にむかって自分の本心を口にすることができたのだろう。物語の終わりになってやっとイニスは自分の思いに素直になれた。ブロークバックマウンテンが同性愛を描いた映画というだけではないというのは、こういうところにあるのだと思う。


■ 夜の天気予報でもやっぱり関東地方の明日の天気は雨だと伝えていた。風も吹くらしい。雨や風が桜の花を散らすだろうと言っていた。春の嵐か。残念だ。せめてあまり寒くならなければいいのだけど。