東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『ゴールデン街』

■ 電車に乗っていたら近くに立っていた男女の会話が聞こえた。

『どの辺に引っ越そうか』
『中央線沿い?』
国分寺・・小金井・・?』
『うん』
『吉祥寺よりは向こうだよね』
『うん』
『まぁ、3年後だけど』

電車の中にある路線案内を見ながら2人はそういう会話をしていた。最後の3年後っていうのがどういう意味なんだろうってすごく気になった。吉祥寺より向こうというのは家賃の問題なのか、それとも職場の都合なのか。恋人同士かと思ったけど男の方が少し若く見えた。もしかしたら姉と弟なのかもしれない。今は別々に住んでいるのか。実家に住んでいるのか。それとももう実家から離れて住んでいるのか。結局その2人は先に途中の駅で降りてしまい、この会話の続きは判らない。会話をしている人たちの関係性を僕は勝手にいろいろ想像する。


■ 14日(金)。かげわたりの家常さんと3月に参加させてもらった芝居で演出をしたM君と新宿で会う。本当はもう一人その芝居のチラシの宣伝文句を作ったFさんも来る予定だったのだけど、仕事の都合で来れなくなってしまったらしい。まぁ仕事なら仕方がないのだけど待ち合わせが18時だった時点でFさんはその時間には来ないだろうという確信が僕にはあった。Fさんは時間にルーズだ。この言葉は違うな。Fさんの時間の基準が僕のそれとは違うものだという方がいいのかもしれない。いや、別に悪い意味ではなく。僕は時間を守れない人が別に嫌いじゃない。僕以外の人に迷惑をかけてしまう場合は知らないけど僕だけが待たされる分には一向に気にならない。といってもそれはあだち充の漫画『H2』の古賀春華の台詞『待ってる時間もデートのうちだから』とか確かそんな台詞だったと思うけど、そういうことではなく。なにせFさんは男だから。ただ単純に時間通りに来れない人が面白いと思う。そんなことをFさんによく言ってるのでFさんはたまに時間通りに待ち合わせの場所にやってくると『今回は時間通りに着たでしょ』と得意顔になる。そういうことで得意顔になるFさんがまた面白い。


■ 家常さんとM君と最初は歌舞伎町の中にある安居酒屋で飲んでいたのだけど、ふと僕がゴールデン街に行ってみたいと言ったらじゃあ行ってみようということになった。新宿には何度も行っているけど実はゴールデン街には行ったことがなかった。正直、どの辺にあるのか判らなかった。家常さんに先導されて辿り着いたその場所はなんだか不思議な雰囲気だった。歌舞伎町とはずいぶん違う。歌舞伎町に比べてネオンが少ないのでとりあえず暗い。人通りも少ない。細い通りにぎっしりと小さい建物が詰まっている。猥雑な雰囲気。いきなりタイムスリップして昔に戻ってしまったような気になる。阿佐ヶ谷駅前にあるスター通りと雰囲気が似ている。こういう雰囲気ってでも懐かしいというのとはどこか違うはず。なぜならそんな風景を僕は子供の頃に見たことがないから。僕が子供の頃の風景なんて今とそれほど変わらない。ゴールデン街の風景はせいぜい映画の中で見たことがあるくらいで、おそらくその記憶がどこかで現実の記憶とつながって懐かしさにも似た雰囲気を呼び起こしているのかもしれない。よく判らない。


■ 『学生さんかい、一杯飲んでいってよ』と店の前に立っているおばちゃんが声をかけてきた。とりあえず曖昧に言葉を濁して通り過ぎた。なんだかどぎまぎしてしまう。その店に入ったらもう二度と出て来れないんじゃないかというおかしな不安も少しあった。それと、まだ学生に見られるのか、俺も若いなとも思った。一通りゴールデン街を歩いてから家常さんが選んだ店に入ってみた。カウンターが6席くらいしかない小さい店。僕たちの他に2人ほどお客さんがいたけど、それだけでもう満員。内装はゴールデン街の雰囲気とは違い色使いが鮮やかでとてもきれいなお店だった。2階がギャラリーになっていた。ギャラリーもこじんまりとしていい雰囲気。全然普通の店ですっかり安心して店の人や他のお客さんともいろいろ話したりした。普通の居酒屋とはまた違う楽しさがあった。またゴールデン街散策をしてみたい。


■ 読んだ本。

前田司郎 『恋愛の解体と北区の滅亡』(群像3月号)

愛と憎悪について考えた挙句、SMクラブに辿り着く男の話と平行して地球にやってきた宇宙人の話が語られる。一見無関係に見えて結局無関係のまま宇宙人は北区を滅ぼす。五反田に住む主人公にとって北区はおそらく遥か遠い場所にあるのだと思う。だけど、やはりこの男がSMクラブに行ったことと宇宙人の北区侵略はどこかに一本の線が繋がっているのではないか。『無関係という関係性』といっちゃうと無責任だけど。構造だけでいうと『三月の5日間』と似ているように思った。テレビとかそういうメディアからしか情報が来ないという点でイラク戦争と北区侵略は似ていて戦争は自分の現実に食い込んでこない。おそらくその距離感が今の日本人と戦争の距離感なんだと思う。遠くの戦争と自分の身に降りかかっている愛の問題。そこに微かにでも繋がりを感じることが出来るのならば、そこから何かが始まる気がする。