東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『雑文』

■ 日清カップヌードルのCMを大友克洋さんが手掛けるようだ。キャンペーンのテーマは『FREEDOM−自由を掴め』らしい。カップヌードルのホームページを見ると「1971年。カップヌードルの登場によって、日本の食文化に「自由」がもたらされました。」という大胆な文章から始まるこのキャンペーンの主旨が掲載されている。以前のカップヌードルのキャンペーンのテーマは『NO BORDER』だった。なんだかここ数年のカップヌードルのCMはすごいことになっている。一体どうしたんだろうとさえ思う。


■ まだこれが、企業理念というか会社の中で社員の間にだけこっそりとある目標なら別に好きにやればいいと思うけど(それはそれで気持ち悪いけど)。別にそういうわけではなく、一商品のCMとして高らかに言っているあたりがちと大胆すぎやしないかと個人的に思う。単純にCMとして好きじゃない。『NO BORDER』のCMは全体的に嫌だった。あと朝日新聞の言葉は無力だなんたらというやつとモバイトがどうのこうのというやつ。モバイトのアレは単純に嫌いなのだけど、カップヌードルと朝日に関しては一つの商品にまったく異なるイメージを挿入して本題から意識を逸らせているように感じるわけで。国境はないのは判ったけどところでカップヌードルはうまいのかというところが無視されている気がするのです。(また意識を逸らすために持ってこられた言葉たちが言い切られて議論の余地のない完結された言葉として使われているのも一因)。まだかつてあった永瀬正敏が合成映像でジョンレノンとかと一緒にカップヌードル食べるCMとかかつてあった『HUNGRY?』というキャッチコピーの方が商品一つで挑んでる感じがしたし、単純にCMとしてそっちの方が僕は好きだった。


■ なんだかんだ言ってカップヌードル食べるんですけどね。好きだし。別にカップヌードルの商品価値が低いなんて思わないし、だからこそ堂々と商品で勝負すればいいんだと思うのです。ちょっと極端な見方をすると商売をすることに対する負い目を世間的に無難な言葉を主張することで回避しているように思えてくる。商売は堂々とやればいいと思う。いいモノを創るにはお金がいるし、お金があれば(無いよりは)いいモノが出来る可能性があるのは当然。お金はいいモノを作るうえでの必要十分条件ではないけど重要なものには変わりない。


■ 企業イメージというのが良くなければいけないという観念がある。企業イメージが良いに越したことはないのだろうけど、ようは良いモノをつくればいいんだと思う。良いモノであればそれをお金という対価を払って買うし、良いモノじゃなければ企業イメージがよくたって買わないというのが結局のところなんじゃないかと思う。そういえば書いていて思い出したけどNHKの『感動は受信料から』ってすごいキャッチコピーがあった。あんな言葉を言われるよりも『サラリーマンNEO』を見るほうがなんぼも受信料払う気になる。