東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『猫のこといろいろ』

■ 『けだま』と名付けられた猫がいる。チンチラという種類の猫だ。毛が長い。


■ それまで猫といえば小林まことさんの『ホワッツマイケル』や『きょうの猫村さん』、あと野良猫をたまに見る程度の印象しかなく「かわいいな」とは思うもののさして意識してきたことはなかったのだけど、この『けだま』と名付けられた猫を知ってから自分の中の猫の存在が劇的に変化した。『ニャー』と鳴く。フラフラと歩く。顔をあらう。その仕草や行動がいちいちかわいく思える。


■ このほどこの『けだま』が1歳になり、久しぶりに『けだま』を見る機会を得た。

「ほう、尻尾をあげて歩いてて、かわいいね」というと
飼い主に「ちょっと警戒してる」と言われた。当然けだまが警戒しているのは僕だ。
「おやおや、楽しそうに歩き回っているね」と僕。
「緊張して落ち着きがない」と飼い主。
「御覧なさいな、カーテンの裏にまわったね。けだまはそこが好きなのかな?」と僕。
「いつもはそんなところに行かない。怖がって隠れたね」と飼い主。

人によって好みのアレは違うのだろうけど、僕は猫のマイペースなところがすごく好きだ。たとえ相手にされなくてもそんなことは別に気にならない。


■ 誕生日祝いってことでペットショップで購入した蛇みたいにウネウネするねこじゃらし(400円)と軽く衝撃を与えると七色に発光する奇妙なボール(450円)を与えてみたけどそれらには一切興味を示さず、コンビニで適当に購入したキャットフード(120円)にだけ蓋を開ける段階からするどく反応していた。そんな『けだま』(雌)は1歳を迎えてしばしば発情するという。もう発情する時期か早いななんて思うのはこっちが勝手に人間の成長速度と比較するからに過ぎず、猫には猫の生きる早さがある。けだまにとっては早い遅いではなく発情は来るべくしてきたのだろう。そういう時けだまは『シャー』という低い声を出して、自分の下腹部をペロペロと舐める。


■ けだまはそうでもないけど、猫の種類によっては発情に際して泣き声が大きくなるものもあるそうで、まぁそういうものを防ぐ処置として去勢なんて方法もあるわけだけど、飼い主さんは人間の都合で猫の性を奪うことは出来ないと言う。その意見はすごく判る。しかしじゃあ雄猫を飼うのかというとそれはそれで色々大変だ。さらに子供が出来たらまた大変になる。かといって発情を続けるけだまをほって置くことはつらい。使われない生殖機能は病気になりやすいのだという。けだまは生きものの当然の摂理として発情し、『ニャー』と鳴いて雄を探している。当然、家の中で飼われているけだまには人為的な作用が無い限り、雄と出会う可能性は皆無だ。飼っているという責任を負っている人間の側が猫と自分の都合を考えて、極力最良の手段を見出すしかない。それは判るけどこういうときはいろいろ辛くなる。


■ ところで飼い主さんは僕のブログを見てくれているのだけど、「映画の紹介や本からの引用ばかりでその作品についてあんたがどう思うのかをきちんと書くべきだ」とまるで小学生の読書感想文を読んでダメだしをする先生のごとき指摘を受けてしまった。このような指摘は以前、別の友人にもされていて、いやまぁこのブログは自分が気になった文章を記録しておくためのものでもありますのでと若干言い訳をしつつも、ああそういうものかと自分の力の無さを改めて思い知るに至ったわけでした。


■ さらに飼い主さんが友人にこのブログを見せたところ、その友人は読んでる途中で「面白くないのよさ!」と語尾がブラックジャックに出てくるピノコの口調よろしく怒りだし閉じたという。決して人様に迷惑だけはかけまいという信条でこのブログを書いていたけど、まさか自分の書いた文章が自分の知らないところで語尾をピノコの口調にしてしまうほど怒りを買っていたとは。まぁピノコの語尾は嘘だけど、こうやって文章を突っ込まれることはしばしばある。不愉快になるくらいなら他のもっと良質の文章が書かれているサイトやブログをご覧になって頂ければと思いつつも、人の眼に晒される場所に文章を発表している責任を感じつつ、あとまぁ趣味で書いてる程度なの笑って流して欲しいなという甘えとの狭間でゆらりゆらりと揺れ動きながら、なんとなく考え込んでしまうのでした。


■ で、そういうことを考え込みながらも、前回書いた360°モンキーズの杉浦氏は所属する事務所のプロフィールの特技の項目にものまね(清原)とあったことを思い出し、助っ人外人じゃなくて清原のものまねが得意なのかよと一人ごちてみたり、清原のものまねするときもバースの応援歌を口ずさむのかしらと気になってみたり、えらい時間差でどうでもいいことも考えてしまうのでした。