東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『生きていてくれればそれでいい』

■『私の身体』について考えるため三浦雅士さんの『身体の零度』(講談社学術文庫メチエ)を再読している。

身体は自分のものであって自分のものではない。誰も自分の身体を選べはしないのである。気づいたときにはすでに、その身体のもとにあったのである。


とはこの本のまえがきに書かれている文章だけど、まさにその通りだと思う。そういったすでにあるものとしての身体と意識的に向きあうために自分は何をしているか、と言って思いつくのは演劇なのだけど、演劇をやっていることと『私の身体』を結びつけることがなにやら難しい。


■そんな最中、大学時代にお世話になったある方と電話で話す。その方の同級生がお亡くなりになられて、先週末に葬儀に出席してきたのだという。住んでる場所が離れていたため、会うことはめったに無かったものの電話では頻繁に話をしていたらしく、あまりに突然の訃報で葬儀に出席した今でさえ、その人がもういないという実感が湧かないのだという。

「全然連絡をとってなくて今何をしているのか判らない人でも、とにかく生きていてくれればそれでいい」

死んでしまってもう会えないのは辛い、とその方は言っていた。本当にそう思う。連絡なんてなくたってとにかく生きていてくれればそれでいい。


■さっきまで雲がはれて、丸い月が顔を出していたのだけど、今はまた雲が空を覆ってしまっている。