東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『波崎の撮影』

■ ひとまず、波崎での自主映画の撮影は事故などもなく終わった。トラブルというか予想外の出来事はあったけど、ともかく無事なので。


予想外の1つが、撮影が1日ではなく2日になってしまったこと。出演者の1人の23日のスケジュールが午後から駄目になってしまったのだ。それが判ったのが22日の夕方。理由は仕方が無いことで、どうしよもない。運が良かったのは、撮影に関する諸々、つまり出演者のスケジュール、撮影機材の確保、レンタカーのレンタル期間延長などなどが24日も全部出来たということ。もし、それが駄目だったらロケ日が延期になるところだった。


撮影日が増えてしまったことで、本当は24日に行くつもりだった知人の芝居を観に行くことが出来なくなってしまって、それは残念だったのだけど。


で、撮影。23日も撮影はあり、以前、1月に撮影をしたとき、取りこぼしていたカットや、どうしても気になっていたカットをいくつか撮り直す。そうやって撮影をしていると、突然雲行きが怪しくなってきた。それで強風が吹き荒れた。ちょうど、撮影の区切りができたところだったのだけど、びっくりした。王子から池袋、さらに新宿へと車で移動していたのだけど、ほんと変な天気だった。雲の色もおかしいし、風の強さが半端じゃない。なんだか、パニック映画のワンシーンにいるみたいな感じがした。


撮影を終えてから、翌日の撮影に備えてカット割りや、撮影順番を改めて考える。この1週間は仕事や脚本書きなどでほんといろいろバタバタしていて、さすがにどっと疲れがでて、いろいろ考えながらうつらうつらしていた。


それから家に戻る。家では、かげわたりの面々がミーティングをしている。当初から、この日のかげわたりのミーティングはうちでやる予定になっていたので。かげわたりの今後のこと、かげわたりももっと大きな括りで考えなければいけないことについて、家常さんやメンバーと少し話しができたのはよかった。やりたいことがある。それはかならず実現したい。家常さんたちの終電がなくなっていたので、都合良く借りていたレンタカーで送る。家常さんの家の前で、その『実現したいこと』についてまた少し話す。とても充実した時間。


■ それで、翌日、撮影。朝5時半に家を出て、出演者のみんなと合流して、荒川に面した扇大橋という首都高速の乗り口から波崎へ向かう。天気は残念ながら快晴。出来れば灰色の空がよかったのだけど、これも致し方無し。僕が巨匠監督ならば、空に雲を足せとスタッフに言ったかもしれない。いかんせん、僕は巨匠監督ではない。まして、そんなことを言えるスタッフもいない。事前のロケハンである程度、撮影場所を絞り込んでいたので、最初はとても順調に撮影が進んだ。東関東道の佐原香取インターを降り、銚子へ向かう道すがら、利根川沿いで撮影をしたとき、まだ10時半過ぎだったので、こりゃあ順調だぁと思い、浮かれた。


が、それが甘かった。その後の撮影が、いろいろ難航。四苦八苦しながら撮影をしていたら、気がつくと銚子の犬吠埼付近で、もう15時を過ぎてしまった。茨城にも入れてない。それで、急遽、一箇所撮影場所を削って、最終目的地の風車が並ぶ波崎の海岸へ向かった。


それで、眼に飛び込んできたのは、風を受けて回るたくさんの風車だった。


これは本当によかった。3度目の波崎で、初めて全ての風車が回っているのを見た。どう言葉にしたらいいのか、さすがにちょっと興奮した。そこでクライマックスの撮影。事前に考えていたカットを撮っていく。でも、ここにきて、なんだかどうも「これでいいのか」という疑問がどんどん湧いてきてしまい、いろいろと撮影を繰り返した。日はどんどん暮れていく。あれよあれよという間に日が沈む。はええよちくしょうと思いながら、なんとか撮る。冨江くんに全力で砂浜を走ってもらうシーンがあるのだけど、そこも何回だろう、かなり走ってもらった。僕もカメラを持って走った。死ぬかと思った。撮影はひとまず終えた。大丈夫かどうか、まだ収録テープを確認してないから、実は判ってない。早く収録テープをみたいのだけど、半分は少し怖い気もしている。


それと残念だったのは、撮影に時間を取りすぎてしまい、スチールの撮影が出来なかったこと。映像にも役者として出演してもらったとはいえ、メインはスチールの撮影ということで、同行してもらったおさむんには本当に申し訳ないことをしてしまった。なにせ、おさむんはこのために事前のロケハンまでしてくれていたのに。ほんと、申し訳ない。撮ってもらいたかった。


■ そういう不完全燃焼なところもあったけど、ひとまず撮影は無事終わった。出演者の冨江くん、Kさんもがんばってくれた。なにより有り難いのは、おさむんや、今回の撮影のために車をだしてもらったTさん。前回の撮影の時もそうだったけど、サポートしてくれる人たちがいないと本当に撮影は成り立たない。本当に有り難うございました。


ひとまず自主映画は、また一区切り。少しずつ形が出来てくる。それは本当に楽しい。