東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『死について書くということ』

■用事があって実家に帰っている。まぁ、年始に一度帰っていたので、それほど感慨もない。たまたまなのだけど、今日は兄の誕生日だった。兄はいよいよ30歳。まぁ、29歳も30歳もそれほどかわりはしない。それで手ぶらもあれだと思い、ケーキを買って帰ったけど、23時過ぎに家に着いたら、兄はすでに寝た後だった。習慣なのかどうか判らないけど、早い。が、まぁ、兄は毎朝6時半に起きており、いつも8時過ぎに起きている僕なんかとは全然違う生活リズムで生きているので、短絡的に比較はできない。それと母曰く、兄はすでに今日だけでケーキを2個たいらげているらしい。ならば、今日のところはもうケーキはよかろうて。冷蔵庫にいれてあるので、明日にでも食べていただければと思う。


■一昨日から、自主映画の撮影で収録に使用したテープをHDに取り込んでいる。2日間の撮影で使用したテープの本数は8本。23日に1本。24日に7本。24日の撮影は、カメラ2台で行った。車で移動する撮影が多かったので、車内用のカメラの他に、車を外から撮るカメラを用意した。一日で撮影を行うには、どうしてもそうするしかなかった。そっちのカメラは、撮影に同行してくれたおさむんにまわしてもらった。いきなり無理言ってお願いした。そのことも本当に感謝。というわけで、仕事が終わってから、家に戻り取り込み作業を行っているけれど、まだ取り込み終わってない。


■自主映画の撮影をしている合間に、出演者のKさんから脚本を読んで、ある感想をもらった。映画の最後の方に、波崎の砂浜で、Kさんに演じてもらった麻子という女が倒れこむというシーンがある。そこを読んだKさんは、麻子は死んだ、と思ったらしい。それを聞いて、あまりにも意外だったので面食らった。撮影後、東京に向かう車中で、同乗していた冨江くんやおさむんとその件の話になったのだけど、そこでも、そのシーンで麻子は死ぬと思ったと言われた。


そういう劇的といか、ドラマチックな展開があるかと思ったらしい。それを期待されていたとしたら恐縮だけど、僕の作品は極めて地味で、劇的とはほど遠い話なのでした。で、その車中で、僕は自分の作品で死を扱ったことはそれほどないと2人に言った。が、改めて考え直したら、本当はかなり死を扱った作品があった。


大学生の頃に書いた戯曲は3本。そのうち、3本目に書いた作品で、劇中に一人死んでいた。東京に来てから今までに書いた戯曲は、大小、上演の有無を問わなければ7本。うち、直接的か間接的かはアレして、死が絡む作品は3本。自分が作った作品の4割に「死」というものが絡んでいる。それが割合的にどうかはよくわからないけど、自分で思っていたよりも「死」を書いているなぁと思った。物語を成立させるためだけの手段として「死」を扱おうなんてことは考えてないけれど、改めてそれらの作品を考え直してみると、果たして僕は「死」ということを本当にきちんと考えてから、それらの作品を書いただろうか、と、疑問がわいてくる。


昨年の7月にイベントで上演した『朝からの家』と今回の自主映画の2本に関していうと『死』というものは全然考えていなかった。


今、僕ははっきりと、死にたくない、と思っている。かといって不老不死になりたいというわけではない。寿命はあろう。病気もあろう。それは仕方ない。嫌なのは、自分の手で、自分の生を止めてしまうこと。それだけはしたくない。その点で、死にたくない。今、僕は僕の手で自分の生を止めるとは全然思っていないが、それが今後もずっとそうかは判らない。可能性は0とはいえない。どこかに不安はある。今は、「今が楽しい」。しんどいこともないことはないけれど、差し引きすれば、楽しいことの方が多い。友人たちといろんなことをして、いろんな場所に行って、いろんなものを見て、いろんなものに触れる。その『悦び』に僕は毎日夢中になっている。


よくわからないけれど、以前は『悦び』よりも『不安』の方が多かったのかもしれない。そういう気持ちが戯曲に多少は反映されていたのかもしれない。


『不安』がないわけじゃない。それは消えない。だけど、まぁ、『不安』ばかり思っているよりも、『悦び』に溢れる方がいい。そういう風に自覚してきたのがいつごろだったのかよくわからないけれど、『朝からの家』ぐらいから、そっちの方に自分でシフトしてきたと思っている。


死なない、には、死にたくないという願望と、死んでたまるかよという意地がある。あまりこういうことは言わない方がいいのだろうけれど、今、撮影している自主映画の主題は、たぶん『希望』だと思っている。それが根拠のない、ほんのわずかな、先のことなど保障されない類の希望であっても。もしかしたらはったりでもかまわない、『今、この悦びを僕は肯定する』ということ。そういう希望。それを描きたいと思っている。なので、作品には『死』はない。今、僕に『死』という選択肢はない。