東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『これは夢/僕らのミライへ逆回転』

■ 久しぶりにネット上を徘徊していたら、ツァイ・ミンリャン監督の短編『これは夢』の動画を見つけた。以前、映画館で『それぞれのシネマ』というオムニバスを観にいったのは、どうしてもツァイ・ミンリャン監督のこの短編を観たかったから。



それがなぜかと言われるとうまく言葉にできないのだけど、この短編の中の、父親がタバコを吸いながら映画を観るシーンを観ると、なぜだか涙が出てきそうになる。それは郷愁とかそういったものではない。

この映画が、主人公が子供の頃に映画館に行った思い出を語る回想らしいということが冒頭で語られているところから、あの横顔が主人公の見てきた映画を観る父の横顔なのだと思われる。その横顔がいい。主人公にとって、あの横顔こそが父の横顔であったのではないか。


■ 話はとんで、仕事が終わった後に新宿に出てミシェルゴンドリーの『僕らのミライへ逆回転』を観た。ごまかしから始まったリメイク映画作りから、やがてオリジナルの映画を作り出す主人公たち。

  基本的に映画は、嘘、だ。この映画の立ち位置はそこから始まっている。オリジナルの作品を作ろうとする人たちが作ろうとしたものは、その街に存在していなかったジャズピアニストが、この街出身だという嘘の物語だ。ワンシーンワンシーンに嘘を積み重ねて、大きな嘘を作っていく。

その嘘の積み重ねでできたものは、当然事実ではないけれど、かといって嘘ではない、もっと別のものになっている。事実が知りたいのではない。かといって単なる嘘を見たいわけではない。それらとは違う別のもの。その別のものに触れたくて、人は映画館に向かう。だからこそ、この映画のラスト、映画を見つめる観客の人たちの表情は、誰もがみんな悦びに満ち溢れている。映画を観る幸福がある。

僕らのミライへ逆回転』と『これは夢』は映画としてその質はかなり異なる作品ではあるけれど、どちらも映画を観る人の表情を捉えた作品として共通しているものがある。

どちらも、映画を観る悦びに触れる表情を、映画を観ることで得られる幸福を切り取っている。

それに触れることが出来る悦び。