東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『意味と死』

またしても雨な朝。が、昼過ぎからは晴れ間が見えてむしろ暑くさえなる。寒暖差激しいので職場でも体調を崩す人が急増。


頭痛は平常時はない。ただ考え事をずっとしていると頭が重くなってくる。とはいえ考えないわけにはいかんし。考えないで過ごせるのならばそれはそれで幸せのような気もするけれど。『考える』も種類はある。頭痛になりやすい『考える』があれば、頭痛になりにくい『考える』もある。概ね、仕事がらみは頭痛になりやすい。



佐藤友哉デンデラ』読了。小説中に描かれる『死』の肌触りの、なんとつるっとした感じよ。命題ではなく、現象としてしかない『死』。そして『生』。

なぜ生きるのか

と、問わないこと。生きる『意味』ではなく、もっと根源的に、生命があるからこそ生きる。裏返して死にも『意味』はない。それでも人は生きて、死ぬ。根源的な衝動として生と死があり、それと同様にモノに触れて、音を聞いて湧き上がるものがある。『意味』ではなく。



買い物をしていると、とある企業が行っている『春のパン祭り』というキャンペーンが、名称を『白いお皿プレゼントキャンペーン』に変更したとチラシが貼ってあった。ある種の配慮が出現したと憶測する。『祭り』というワードへの過剰とも言える反応。結構な人数の大人が、このことに関わり仕事が発生していると思うと、何かよく判らない熱量が、冗談のように消費された気になる。



九分九厘『募集』ということなのだろうと思うものの、なんと簡潔にまとめたことか。