東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『エンディングノート/ライブ』

日曜。諸々あって朝の7時半に大宮にいる。それで帰宅。朝も早かったから寝ようかと思いつつ、ふとネットを見て、砂田麻美監督の『エンディングノート』が新宿ピカデリーで9時半からやっていることを知り、再び家を出る。日曜の朝など映画館に人はいないだろうと思っていたら、かなり混んでいた。


砂田麻美監督『エンディングノート』。
おそらく、カメラを回し始めた頃はこの映画の本筋とは別の狙いがあったのではないか。そして、父親に癌の宣告があったところから方向転換をしたのではないだろうか。一番最初の段階で、すでに父の死をカメラに収めようとしていたならばさすがにそれはすごいことになっていると思うし。

カメラを回し続けるって、やはりどう考えてもある種の狂気的な覚悟がないと無理だと思う。父親が、手術をすることも出来ないくらい末期の癌であることを知ってから、それでいてそのことを映画にしようと考える時点で、ある種の覚悟が必要だろうし。作品を作るうえでの葛藤もあったと思う。見事だと思うのは、そういった個人的な感情は映画本編では一切排除していること。監督本人の声によるナレーションさえも主人公である父親の声の態をとっている。もちろん、それは脚本化された声ではありつつも、あくまでも父親役としてなりきり、そこに自己を介入させない。冷静に見つめ続ける覚悟によって本作はぶれること無く、主人公の、身内の、父親の死を見つめる。身内だからこそ撮れる距離感で、身内とは思えぬ冷静さで。そのような視線によって見つめられた膨大な記録。監督の主観が入らないからこそ、観客側に感情が移入する余地がうまれるのだと思う。だからこそ、それら記録が紡がれて1本の作品になるときに、記録以上の何かがそこに出現するように思える。

冷静に見つめ続ける覚悟。カメラをまわしつづけることが、監督自身の、死にゆく父親へ出来ることだったのかもしれない。人は誰であれ死に対しては無力である。医者でさえ、延命はできても死を避けることなどできない。死にどう向き合うか。砂田監督にとって、父親の死に向き合う方法は、カメラをまわすことであったのだと思う。カメラをまわすということは、常に父親の傍にいることでもある。


その後に、一度帰宅。それから夜になって再び新宿へ。友人達のバンド『かげわたり』のライブを観る。かげわたりの音楽は、どこか波のような気がする。ステージから音の波が客席に伝わり、それによって客席の中に揺れが生じる。そしてその揺れが、再びステージ上にもかえして、壁にもあたって、さらなる大きな波を産む。様々な要因があるのだと思うけれど、昨日のライブはそんなことを強く感じた。そういうわけで、僕は心地いい波に身体を委ねてユラユラとしていた。で、そんな最中どういったわけか頭痛に悩まされたこともあり、ライブ終了後誰にも挨拶もせぬまま会場を後にしてしまった。不義理というか、失礼な案配でありました。


で、今日。何も話しもせぬまま帰宅してしまった不義理もあって、仕事後に谷川さんに声をかけ後楽園で少し飲みつつ話しをする。ライブのこと。それから、一言でいうと東京の土地について。僕自身、話しながら気付くこともあり、いろいろ考える。話しの内容は置いといて、後楽園駅で待ち合わせをした谷川さんは、暖かそうなコートにマフラーを巻いて現れた。結構な冬本番の格好で、早すぎるんじゃなかろうかと思ったものの、酒を飲んで店を出た後に震えるほどの寒さを感じ、谷川さんの厚着が正解だったかもしれぬと身にしみて実感するに至る。もう冬は眼前。