東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ケロ/星降る夜に』

テーブルの上に置いてあるドライヤーを見て、娘子が「ケロケロ」と言う。
「ケロ」とは娘子の言うところの、カエルのこと。

一見すると、どこがカエルなのかは判らない。テーブルは半透明で下から覗くと置いてあるものが透けて見える。娘子はまだ背が低いので、テーブルの下から上を見上げて、透けて見えるドライヤーの、影をみて「ケロ」と言った。彼女にとって、それはただのドライヤーの影ではなく「ケロ」だった。その視界は自分にはなかった。時にその視界は、正しさを超えて、別の新しい世界を教えてくれる。



宮沢章夫さんの『ボブ・ディラングレーテスト・ヒット第三集』を読み直そうと、新潮2011年4月号を本棚から引っ張り出す。それで高橋源一郎さんの『星降る夜に』という短編があることに気付く。


小説を書き続ける人生を送り続けた40歳の男。結局のところ、小説は生活の糧には成り得ず、仕事を探さなければならなくなる。そして生き延びる可能性のない子供たちが入院する病院で、本を読み聞かせる仕事に就く。人生の全てが小説を書くことであったような男。死へと向かう子供達に『言葉』を語ることで、仕事なんかを飛び越えて、人の生において、『言葉』を語ること/紡ぐことがどのような位置にあるのかを、初めて自分自身に問いかける。死に対して、『言葉』は無力かもしれないが、それでもなおかつ『言葉』を紡ぎ、そして語る。小説を書くことへの、静かな決意を感じる。『星降る夜に』が掲載された新潮が発行された時期から、おそらくこの小説を書き上げたのが震災前であったと思われ、この小説と震災を経て、『恋する原発』が書かれたこともまた興味深い。いつまでも、大切にして、繰り返し読み続けたい一編に出会えた。

わたしは、その本の頁を開いた。とにかく、とわたしは思った。前へ進むことだ。「前へ」だ。わたしがやりたかったのは、「これ」だったのではないか、とわたしは思った。


冬至を迎え、えらく冷え込む日が増えた。冬きたり。そして、娘子が嬉々として持つ本よ。