東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『なめとこ山の熊と東京人』

6月7日で娘が4歳になった。早いといえば早く感じるけれど、1日1日積み重ねて今に至るわけで一言で「あっという間」とは言えない。なんにせよ元気に育ってくれていることがうれしい。


誕生日プレゼントってわけではないけれど、何か娘にと思いいろいろ考えた結果、職場の近くにある絵本を売っている店で絵本を買うことに。物色した結果、久住昌之さんも参加しているパラパラ漫画の絵本と、『考えるカエル』という絵本と、宮沢賢治さんの『なめとこ山の熊』を購入。


娘が最初に夢中になったのはパラパラ漫画だった。なにせ仕掛けが面白い。それから『考えるカエル』を読み、最後に『なめとこ山の熊』を読んだ。『なめとこ山の熊』は出来るだけ丁寧に読んだ。難しい語彙もあるし、あまり長いと娘も集中出来ないだろうから飛ばすところは飛ばしつつ、出来るだけ丁寧に。読み終えて、開口一番「クマとヒトがどうして友達になったのかわからなかった」と娘が言った。その感想が鋭いなぁと思いつつ、僕自身もうまくそのことを説明できない。『友達』という感覚では、このクマとヒトの関係は計れない。自分なりの解釈は話せるだろうけどそれを話すことはあまり意味がないようにも思えた。自分なりに考えてほしい。ゆっくりでいい。その手伝いのためなら、僕はいくらでもこの本を読む。なんなら大人になってから結論がでるかもしれない。これからいろいろなことに触れる。おそらくテレビやインターネット、公園で遊ぶこと、友達と遊ぶこと。宮沢賢治の絵本より面白いと思えることが世の中にはたくさんあってそっちに夢中になることもあるだろう。そういうものにも触れて、そしてまた、この「なめとこ山の熊」にも戻ってきてほしい。ゆっくりでいい。自分でこの作品に関して考えを持ってほしい。そう思った。


日曜は一日雨だった。


月曜。朝は雨が止んで、空もうっすら陽が射してアスファルトも乾いていた。久しぶりに傘をささない朝。会社に行ってお昼を過ぎたあたりで雲がでてきて暗くなってきた。夕方以降はまた雨。まごうことなく梅雨。


風邪を引いて体調を崩したのは先週末。今は大分良くなってきたのだけど、治りかけなのか咳が止まらない。ただ、頭痛やちょっとした怠さはなくなった。先週の火曜だか水曜に病院に行った時、待ち合い室の本棚で『東京人』という雑誌を見つけた。その2014年7月号の特集が『ガロとCOMの時代 1964-1971』だった。ガロの創刊からCOMの休刊までの7年を取り上げた特集。その中でも冒頭に掲載されている、つげ義春さんのインタビューがとても興味深かった。病院ではすぐに呼ばれてしまいじっくり読めなかったので、すぐに本屋で雑誌を購入した。


『ガロ』で注目を浴び、高い評価を得たつげ義春さん。だけど87年の『別離』という作品を最後に26年間、作品を発表していない。そのつげ義春さんが今を語るインタビュー。いやがうえにも興味を惹かれる。奥様を15年前に亡くしてから、息子さんと暮らすつげさん。息子さんは統合失調症を患っており、その息子さんを育てるために日々の生活を送っていると語るつげさん。料理の献立を考えたり、タル・ベーラ監督の『ニーチェの馬』を息子さんとDVDで観たり、息子さんと社会について言い合ったり、応援してくる読者の方からの手紙に返信を書いたり、そんな日常を語るその語り口にどこかつげさんの作品を読んでも感じられる『らしさ』が伺える。インタビュアーの川本三郎さんの語りにもつげさん、そしてつげ作品への愛が感じられる。現実社会を逃避するように「いながらいない」生活に憧れながらも、息子さんと喧嘩をして一人で喫茶店に行く時には耐えられないほどの孤独を感じるというつげさん。


意識的に隠遁する孤独とは別で、日常における一人暮らしは生きられない。


相反するように思える発言。息子を愛し、目の前の生活を実直に生きるつげ義春さんだからこそ、この世の中にある様々な諸々に対して翻弄され、苦しみ、諦めてみたり、時に逃避してみたりして、それでも潮流に流されることなく、『実直』な視線で作品をうみだしたからこそ、その作品が時代を超えて支持されているのかもしれない。


そういえば、病院で『東京人』のつげ義春さんのインタビューを読んだあと、帰宅途中に近所の神社に寄ったのだけど、そこでおそらく娘と思われる40代後半の女性に連れられた60〜70代の老女がいた。その2人は僕の手前で、賽銭箱の前でお参りをしていたのだけど、その老女がやけに僕を見てきて、何だろうと思ったら、「待たせてしまってすいませんね。すぐ終わりますから」と何度も頭を下げて僕にその場所を譲ろうとしてきた。娘と思われる女性が「いいから早くお参りしな」と手を引っ張り、それで老女は慌てて手を合わせて拝む。それが終わった後も、僕にぺこぺこと頭を下げてその場を去って行った。それがなんだかやけに印象に残っている。梅雨の直前だった。


今も外は雨が降っている。