東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『寒いと思ったら雪』

といわけで、1月にはいってからずっと娘子と一緒にいる。育児休暇などを取る人の気分というのはこういうことかと思いつつ、家事等をやり、娘子と近所の神社や寺を歩いたり、公園で遊ぶことの至福は確かにある。育児休暇の人と完全に異なっているのはまぁ、会社に所属しているかいなかという点ではありつつ。


今朝のこと。朝食を食べ終わってさらにテーブルの上にある食べ物をねだる娘子は、泣き叫びながら嫁氏にくれとせがむがそれを嫁氏は頑に拒否。すると頭をうなだれる娘子。さぞかし辛かろうと思って見ていると、泣いてでてきたよだれがテーブルの上に垂れるのが面白いみたいで、いつしかよだれをたらすことに夢中になる次第。まったくその興味の対象の変化の速度に度肝を抜かれる。


しばしば、NHK教育テレビの『いないいないばぁ!』『見いつけた!』『おかあさんといっしょ』『ピタゴラスイッチ』などを録画しておくのだけれど、そのことを知っている娘子は、テレビを付けるとすぐに「いーっす!、いーっす!」と録画したテレビを見せろと要求するようになった。「いーっす」とは『見いつけた!』に出てくるコッシーというキャラが言う言葉だ。個人的にも『見いつけた!』は好きなのだけど、さすがに何回もくり返して録画した内容を見るのは飽きるなぁと思いつつ、釘付けになって見ている姿を見ていると何も言えなくなる。


して、合間をぬってフランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』をDVDで観たり。映画製作自体は、多くのスタッフとキャストが集まってこそ成り立つのだけれども、この映画を見ていると、トリュフォー自身が演じる映画監督役の、どこか孤独な戦いを観たような気になる。逃げ出そうとする俳優に向かって「映画の中に幸せを見いだすしかない」といった台詞を言う場面があるが、それが説得のためだけの方便というわけではなく、半端ない覚悟の本心でる気がする。『市民ケーン』に憧れを抱き、映画の世界に入ったトリュフォーの、トリュフォーであっても、抱える業。生半可な「好き」では映画は愛しきれないのだろう。孤独に戦う姿をズシリと感じる。


そして、寒いと思ったら雪が降っている。