東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『週末雑記』

12月1日(木)。久しぶりに仕事で忙しく。夜になって微妙な問題が発覚。仕方無く一度帰宅し、再び出社。それから朝まで作業。その甲斐あってかとりあえず見通しがつくところまでは諸々進む。映画の日からは遠く離れて。


2日(金)。というわけで前日から会社泊まりこみ。仕事後、家常さんと会って諸々話しをする。雑談の中で、家常さんに指摘されて初めて気がついたこと。池袋東口に『g.u.ジーユー』ができたが、その前に『キンカ堂』が閉店している。ビルがまるまる取り壊された。僕自身は『キンカ堂』に自分から行くことはなかったが、嫁氏が頻繁に行っていたのでよく一緒について行った。閉店直前も行ったのだけど、その時は閉店するような様子はなく、レジでも精算時にポイントを貯めていた。衣料品店とはいえその形態は異なるものの、社会的な選択として、老舗の『キンカ堂』が姿を消し、『g.u.ジーユー』が出現した。この意味。個人的に『キンカ堂』に肩入れできるほど通っていたわけではない。だけど、『キンカ堂』が姿を消し、その周辺に同じく安価であることを主軸にすえた大型チェーン衣料品店が、池袋という都市の駅前にできたことで出現する諸々については考えなくてはならない気がする。恩恵もあるだろうけれど、失ったものもあるだろう。繰り返しになるけれど、どちらからに肩入れするわけではない。けれども。
家常さんと話しをしたことの1つに、そういった主流の流れに乗っかるではなく、それとは異なる流れの中で集う場所、モノを発信する拠点をつくろうということ。

『商品を生産するためには、彼は使用価値を生産するだけではなく、他人のための使用価値、社会的価値を生産しなければならない』


宮沢章夫さんの『資本論も読む』からの孫引きながら、マルクスの語るこの言葉の意味をこそ、改めて問わねばならぬ、


3日(土)。当初、とある予定の入る案配だったけれど中止に。そこで美容院に行く。隣駅にある美容院。せっかくだから駅前にある『てんつくてん』という非常に美味しいラーメン屋に寄ろうと思ったら、見付からない。道に迷ったかと思ったら店が無くなっていた。店のあった場所には別の美容院が。なんてこった。町は変容する。ぼんやりしつつ、髪を切る。で、時間差で嫁氏が娘子を連れてやってくる。髪を切られる父を見て、怪訝そうな表情をする娘子。果たして、娘子は何をもって父を認識していたのか。さっぱりしたところで、バトンタッチ。嫁氏が髪を切ることになり、僕が娘子を連れて店を出る。降っていた雨が止むと、嘘のような良い天気。


4日(日)。嫁氏がマッサージに行く間、僕が娘子を見ることに。嫁氏のマッサージの終了時間くらいに東池袋で待ち合わせをしようと約束した。その間、鬼子母神のあたりを娘子とフラフラする。娘子はなぜか本堂の階段を昇っては降りてをくり返す。その度に、参拝する人をじっとみる。結果、8回ほど上り下りをくり返す。それから大公孫樹の方に行く。すっかり葉が黄色なり、すでに落ちた葉で地面が一面黄色くなっていた。で、鬼子母神の隣の公園についた頃にはすでに約束の時間になっていた。すべり台やブランコで夢中で遊んでいる娘子を見ていると、まぁいいかという気分になる。その後、嫁氏から電話があり、まだ鬼子母神の隣にいると告げるとえらく怒られた。それから、3人で鰻を食べ、雑司ヶ谷の商店街にあるパン屋で美味しいラスクを購入。娘子が寝た隙に喫茶店に入り、美味しい珈琲を飲み、夕方に帰宅。それからすぐに娘子と風呂に入る。なんともビバノンな休日。