東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『死んだら骨だけ』

今日も今日とて恐ろしく寒い。これでまだ12月なわけなので、年明け2月頃はどうなるのだろう。毎年、こうやって少しずつ寒さに弱くなっているような気がする。


もう、週刊誌としてはそこそこ前になるのだけど、
ワンピース第645話『死もまた復讐』の
新魚人海賊団ゼオと、麦わらの一味ブルックとの会話のやりとりが興味深かった。

ゼオ
「死もまた復讐だ!!」
「死してなお人間を呪え!惨劇は我らの血肉となる!!」
「怨念が消える事はない!受け継がれ復讐は必ず果たされる!!」

ブルック
「死んで怨みを残す!?」
「バカバカしい!何も残りませんよ!」
「生物皆!!!死んだら骨だけですよ!!!」

ディフォルメされたそのキャラクター造型から軽く流されそうな会話ながら、ここに『死』に対する作者の考え方をみる。無慈悲にも見えるが、おそらく『死』とはそのようなもので、生きているからこそ『死』に対して思想が生まれるが、肉体の消滅と共に『死』も消滅する。そして骨だけが残る。


このやりとりにひっかかりを覚えたのは、寺山修司の言葉にも同様の考え方を見るから。

『生が終わって死が始まるのではない。生が終われば死もまた終わってしまうのである。』


個人的には、この『死』に対する考え方がかなりしっくりきている。その通りではないかと思う。
『死』はそうやって『生』と共に消滅する。私という存在は『死』と共に跡形もなく消え去ってしまうのだろう。

しかし、生きている他者がいる。
他者が死者である彼を語り思うことで、彼は他者の中で生き続ける。
手を合わせるという行為は、その先が死者に向かっているようで、実は自己を見つめるための行為だとどこかで読んだ。死者はそうやって他者の中で生き続ける。