東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『12歳までの世界』

9日(金)。仕事後、会社の人たちと諸々あって飲みに行く。その話しが面白かったしいろいろと考えることが多かった。良い具合に酩酊しつつ終電で帰宅。



10日(土)。仕事の後片付けで少しだけ出社。その後、午後から家族で僕の実家に。久しぶりに日比谷線から東武線というルートで。南千住付近からスカイツリーが良い具合に見えた。視界も常に変化する。

我が父と母の、孫の溺愛っぷりは変わらず健在。常に見たこともない笑顔を娘子に振りまいている。一息ついてから母の提案で浦和美園のイオンに買い物に出かける。孫の服やおもちゃなどをこれまでひたすら買い続けてきた母は、今回は嫁氏に何かを買ってあげたかったらしく、ショッピングモールに並ぶ店の前を通り過ぎるたびに、「なにか買えば?」と嫁氏に詰め寄っていた。

図らずも、その夜は月食。実家は高い建物もなく冬は星がとてもきれいに見える。今、住んでいる自分の家からではよく見えなかった。というわけでベランダで月食を見る。寒がりの父と母はテレビのニュースで十分らしく、僕と嫁氏と、布団ぐるぐる巻きで防寒対策十分の娘子と観測。こうやってじっくり星を見ることが初体験の娘子。遠く夜空に見える星はどういう風にみえるのだろうかと思ったけど「きらきらー」と言っておった。



11日(日)。実家の近くにある児童館コスモスという施設に行く。僕が小学生の頃に出来た児童施設。まさか、自分が子供の頃に遊んだ場所で娘子が遊ぶとは。僕自身、小学校以来入ってない。久しぶりに入ったが、驚く程変わってない。施設の中に入っているミニ図書館の蔵書さえもほぼ同じ品揃えであったのはさすがに諸々怠っているのではないか。施設の中でも、幼児用のプレイルームは僕も入ったことがなく、新鮮だった。娘子はそこで夢中になって遊んでいた。

かつて、子供だった私。突如として、何も無かった野っ原に大規模な工事が開始され、何が出来るのか興味津々だった。やがて見えて来た建築物の屋根のあたりが、なにやら城のような形状になってきたのでそれはもう完成が楽しみだった。

出来上がった施設は、まさに城だった。プラネタリウムや天体観測ができる望遠鏡、科学的な実験ができる施設などもあって、突如できたその遊び場で僕らは夢中になって遊んだ。
児童館コスモスの近くには2軒の駄菓子屋があった。『佐藤商店』という老舗と、コスモスが出来た後に出現した『てるてる』という店。『てるてる』はコスモスのすぐ傍にあり、店内も広く、ゲーム機もたくさんあって子供にとっても申し分ない店だった。さらに思い出したけど、購入したカップラーメンにお湯をいれるポットがいくつもあって、それも子供心にテンションがあがった記憶がある。佐藤商店は、てるてるに比べると店は狭くゲーム機も2台しか置いてなかった。だけど、不思議なこだわりのようなものがあって僕らのグループは、『佐藤商店』を根城にしていた。『佐藤商店』の店主であるおばさんは、別にそんなことは気にも留めず、いつもぶすっとしていたように思う。

中学生になると、最初の頃は屋外の公園のような場所で遊んでいたことはあったが次第に部活などもあってコスモスに行くことは減った。あの施設は、やはり小学校までの子供たちの場所だったのだと思う。


僕には、まったく代わり映えしない施設や遊具も、今の子どもたちには新鮮で、その場所は楽しい空間として、その年代の子たちを入れ替わり受容していくのだろう。


その後、昼頃にコスモスを出て帰路へ。三ノ輪から都電荒川線で帰って見る。穏やかでゆっくりと進む。コスモスですこぶる遊んだ娘子だったので、電車内では寝ていたが、帰ってからは元気全開。嫁氏の体調が悪くなったので、僕と娘子で近所の公園に。すべり台やらブランコやらで遊び、赤い実をむしって僕に渡してくるので、それでスマイル君を描いた。あまり、娘子の興味関心は惹かなかったが。夢中になって遊んでいたが、途中で犬を散歩しているおばさんを見た娘子が、嫁氏の不在を思い出し、「おかー、おかー」と泣き出したので帰宅。まだまだ父親の存在なぞ、母親の前では微力なのだろう。


それにしても穏やかに晴れた休日だった。