東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『5ヶ月の最後の日』

5月が終る。今年に入ってから無職の、嫁氏と娘子と一緒に過ごす時間が5ヶ月経つ。ずいぶんな月日だと思うし、あっという間のような気もする。寒い冬に砂場で遊んだり、桜の花の舞う中で砂場で遊んだり、陽射しの強くなって来た中で汗をかきながら砂場で遊んだり。公園や区の施設で遊んだということよりも、個人的には砂場で娘子と遊んだという印象がやけに強い。


32歳で仕事を辞めて、娘子と遊びつつ日々を過ごす。娘子は6月7日で2歳になる。こんな時期に、こうやって長い時間を家族で過ごしたことは個人的にはとても貴重だと思える。もちろん、そのリスクを背負う日々なのだけど。

会社を辞める事に関しては、確かにいろいろ考えた。
でも、辞めたあとのことは何も考えてなかった。まぁ、3月までには仕事が決まり4月くらいからは働けるだろうと思っていた。それほど思い通りにいくもんではないのだなと思った。


砂場で砂を掘り、水を流し、団子をつくり、泥だらけになった。やがて時が過ぎて記憶がどんどん散漫になっていけばいくほど、この日々はずっと娘子と砂遊びをしていたとしか思い出せなくなるような気がする。娘子にしてみれば、2歳前の記憶などほとんど残らないだろうからこうやって僕と遊んだことなど忘れてしまうのだろう。いつか互いに歳を重ねて、実は無職の頃に何ヶ月もお父さんは君と毎日砂場に行っていたのだよなんて話をしてみたとして、おそらく嘲笑されて終るようなたわいもない時間なのだろう。


取り残されているような気も当然しているし、どこか負い目を感じるところもある。働かなくてもいい余裕が自分にあれば同じ様に毎日を嫁氏と娘子と猫と暮らし、砂場で遊び、小説を読み、芝居を観て、映画を観て、友人と会ってなんて日々もしたいけど、そんな余裕もなくモロモロを食いつぶして生きている現状。

まったく、人は働かねばならぬもんなんだなぁと改めて思う。
ただ、こういった日々を過ごした経験を持てたことはそれはそれで貴重だと思う。


5月最後の日は、ここ数日のバタバタのせいか娘子の鼻水がやけにでるので家でゆっくりと過ごす。一度、買い物にでかけ近所に新しくできたセブンイレブンに行ってみる。まぁ、どこにでもあるセブンイレブン。かつては地元密着型のスーパーだった敷地。何ができるのかと楽しみにしていて、形が見えて来て意気消沈したといえば、した。徒歩ですぐの場所に別のセブンイレブンがそもそも、ある。何を狙って新店舗を設けたのかよく判らない。そのうえ、周辺はコンビニ密集地帯。ほぼ横並びにファミリーマートがあり、道路を挟んですぐの場所にローソンがあり、少しあるけばサンクスもある。かつてはミニストップもあったが、ミニストップはつぶれてしまった。で、つぶれた後に100円ローソンが出来た。300mほどの距離に5店舗のコンビニがある、過多の場所。個人的にはミニストップが一番好きなコンビニなのでどうせならミニストがあればと思うのだけど、唯一それだけがつぶれたという皮肉。そんなこともあったり。北杜夫さんの『楡家の人びと』第一部読了。


そして六月へ。