東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『さらに脚本を書いていた』

8月も中盤を過ぎた。私見ながら、今年の夏は暑いながらもカラッとした日が多く、気持ちの良い暑さだと思う。汗はかくものの、気持ちがいい。


そんな最中、日中は働き、夜は脚本を書くという日々をずっと続けていた。今週月曜にひとまずの区切りがつき、一息つけるかと思ったのだけれど、改めて書き直しの必要がでてきた。こうなれば、とことん書き直してやろうと思いつつ、言葉やストーリーについて改めて考える。話はとことんデタラメ。とはいえ、あり得ないが羅列されているだけでは意味がない。その世界の中で整合性があり、正しさがあるという点を重視しつつ。引き続き、考える日々が続く。


で、仕事は仕事である。不思議な縁があるなぁと思うのだけど、とある仕事でばったりT君にあった。T君には、僕の自主映画や芝居に出演してもらった。T君も結婚し、お子さんが生まれて以来、なかなか会う機会もないままだった。まったく不思議な縁。で、その仕事先でも、改めて言葉について考えた。どう語るか。全てを語ればいいものじゃない。全てを語ってしまうことから生じる窮屈な感じは、絶対にある。もっと自由であるべき。


T君にあったこともあって、ふと以前作った自主映画を見直した。荒い部分は当然ある。撮影に関する技術的な問題もあるし。でも、今だったらなまじっかつけた技術を用いて体裁を繕ってしまいそうな部分で、最小限のカット割りと台詞でもって進行していく部分などは、当然贔屓目もあるのだけど、よくぞそのような英断をしたな、過去の俺、と褒めたい気分になる。当然、撮り直したいくらい残念なシーンも多いのだけど。


ひとまず、思考の8月。