東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『2月になって』

tokyomoon2016-02-05

日曜の夜から、月曜火曜とカレーばかりを食べていた。多めにつくったがゆえ、自業自得。カレーは好きなので毎食であっても気にはならないものの、何な身体中からカレーの匂いがしているような気になる。よくわからないけど、インドの人とかそうなのだろうか。納豆入れたり、卵入れたり、キムチ入れたり、あらゆる添え物で味のバリエーションを増やしカレー三昧の日々を過ごしたけど、水曜の朝で打ち止め。それにしてもカレーばかり食べていたからかお腹がちとユルい。


原恵一監督『はじまりのみち』。映画監督である木下恵介さんを題材にしつつ、母親の息子を想う心情を扱っている。第二次大戦中に陸軍省の依頼で製作された『陸軍』。明らかに戦中の国策目的で作られたこの作品で、出兵する息子を悲壮な面持ちで見送る母親の描写をラストシーンに持ってきたことで陸軍から目の敵とされ、自由に作品を作れなくなった木下恵介は松竹を退職し、実家で母親や家族と暮らす。体調の悪い母親をリアカーに乗せて60キロほど離れた疎開先へ歩いて連れて行く姿を描きつつ、母親の「お前の作る映画が観たい」という言葉に再び映画監督の道を進むことを決意する物語。旅の途中、宿に着き、宿の中に入る前に木下恵介さんを演じる加瀬亮さんが、母親役の田中裕子さんの顔についた泥を手ぬぐいで拭うシーンの、田中裕子さんの堂々とした表情に釘付けになる。映画『陸軍』の、出兵する息子を母親が追いかけるシーンをほぼノーカットで引用することも、数々の木下恵介さんの映画作品を紹介していく最後に『新・喜びも悲しみも幾歳月』の「この船が戦争へ行く船じゃなくてよかった」という母の台詞の場面を持ってきたことも、映画本編の最後が田中裕子さんの表情であることも、この作品が子を想う母を描いているあらわれだと思った。


森田芳光監督『の・ようなもの』。WOWOWで放送していたものをなんとなく録画していた。それを一昨日たまたま観た。伊藤克信さん演じる若き落語家志ん魚の住む家が、谷中にある『萩荘』であることが冒頭のシーンで描かれていて、つい先日の日曜にその『萩荘』を改築したカフェに行っていたので驚いた。こんな偶然あるのか。公開が1981年ということは撮影は1980年だろうか。その当時はまだ『萩荘』はかつての姿であり、志ん魚がその入り口から歩いて出かけるシーンは、そのアングルやサイズからしても、向かいにある公園の中にカメラを立てて取られたものだろう。僕が1979年生まれなので約36年前の話なのだろうけど、風景はいろいろと違う。映画の最後、恋人の家から飛び出した志ん魚は終電に乗れず、堀切駅から谷中まで歩いて帰る。このシーンがなんだか良いのだけど、そこに映される建物の無くなりようといったら驚くばかり。その分、新しく出来てるものもあるのだけど。


携帯もラインも無い時代の、どこかゆるい落語家修業中の若者たちを描いた作品で、誰もが飄々としている雰囲気が良いなぁと思いつつ、それはきっと舞台設定が「谷中」と、都会の中でも下町の落ち着いた場所であることも確実に影響してるだろうけど、何かこれから騒がしくなってくる予兆はヒシヒシと感じられる世相から置いてかれているような、もしくは自分から遅れているような彼らの姿が、無気力とかとは別にして面白く思えた。それにしても伊藤克信さんの演技というのか独特な振る舞いは唯一無二だなぁ。先に書いた恋人の家から出るとき「もう終電がないぞ」とそこの父親から言われて「大丈夫です、飛行機で帰りますから」と返事をするのだけど、あんな突飛な台詞を見事に発することができるのはすごいなぁ。


それとは別で。


昨夜。家常さんが家に来て、いろいろ話をしてくれた。本当にありがたいことだなぁと思う。僕と妻が、お互いの主張があり、互いに意固地になってしまっている部分が出てきてしまっているところを、それはともかくまずはちゃんと向き合えと言ってくれるのが有難い。本当につくづくありがたいなぁと思う。