東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『卒園式の日のこと』

tokyomoon2017-03-13

3/11は娘の卒園式だった。とても晴れて気持ちの良い朝。娘は黒いシャツに白いドットの入ったシャツにネクタイという格好で嬉しそうに参加した。自分が幼稚園を卒園する時、どんなだったかあまり記憶にないけれど、やけに泣いていたような記憶がある。さみしかったのかもしれない。式は卒園児入場から、先生の挨拶、来賓の方の言葉、在園の子から歌や花のプレゼントなどつつがなく進み、最後に幼稚園で楽しかったことや小学校にあがったらしたいことを卒園児たちが発表することになる。小学校にあがったら勉強したいということを言う子もいれば、友達を作る、と言う子もいる。当たり前のように聞こえる「友達をつくる」だけど、新しい環境になったら友達をつくりたいって、それはとっても楽しい願いのはずなんだなぁと改めて気づく。なんだかこたの歳になり、日々多くの出会いのようなものはあるけれど、「友達をつくる」という感覚ではないなぁと。だけどそういう気持ちをもっていろいろのぞみたいなぁとなんとなく思う。


最後、卒園児の退場曲は『カノン』だった。退場したあと娘はめちゃくちゃ泣いちゃったと、後から笑顔で言ってきた。


その後、園では謝恩会があり、母親たちがいろいろと丹精込めて作った会が催された。こういう時の母親の方々の結束のようなものはすごいものだなぁと感じる。卒園アルバムのデザインを近所に住む友人の家常さんたちがやってくれて、そういうのも嬉しい。というか仕事の合間に大変だったと思うけど。及ばずながら僕も謝恩会で流す映像を作らせてもらった。すでにそこそこ使い古された僕のパソコンで編集をすることはいろいろと大変だったし、その後、DVDへのコピーをする過程でいろいろと困難もあったけど、ひとまず無事に流せてよかった。


そういうものだったか、自分の頃のことはまったく覚えてないが、謝恩会参加は園児につき一名らしく、父親たちは早々に退散。僕もビデオを流したら家に戻り、少し微睡む。


その後、嫁は母親たちと幼稚園の先生と打ち上げのようなものに行くことになり、僕は娘と映画を観に新宿へ。映画『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』を観ようと思ったが驚いたことに、満席で観れず、娘が残念がるので渋谷へ移動。渋東タワーの映画館では最前列だったけどかろうじて観れた。周りを見ると子連れが多いのはもちろんだけど、そこそこいい年代のカップルもいて、そういうものなのかと驚きつつ観る。


物語の構造のようなものがイマイチ飲み込めなかったのは、焦点となる古代都市と10万年という時間移動の設定に、さらに未知の宇宙から地球にやってきた人たちがいて、その3つがうまく飲み込めずに混乱したから。最後の敵となる怪物の造形やアニメーションの仕方が、参照先を想像できるような気がしたけど、ある意味で意図的にやったのではないかとも思えた。


それは別に否定するではなく、とはいえ、構成の難しさはどうなのだろう。その点、数日前にテレビで放送していた映画『ドラえもん のび太の新・日本誕生』のシンプルな設定よ。同じくタイムワープをする設定だけど、実にシンプル。ドラえもん達自身がタイムワープで過去に戻ったように、同じくタイムワープによって過去に戻り支配をしようとした未来人が敵であるということ。未来道具をよく使うも悪く使うも表裏一体であることが、とてつもなくシンプルに描かれているし、ペガ、ドラコ、グリフィスとのび太の関係を母子のように描くことで、元々の原作以上に、母子の絆も掘り下げているように思えた。


『日本誕生』に子供心に惹かれたのは、誰もいない7万年前の世界を独り占めできつつ、未来の道具で衣食住を素敵に作り上げた前半部分だ。後半の敵との戦いは映画的な物語の展開としての必然だけど、僕は縄文時代のような服をきて、互いを大臣と呼び合い手分けして生活環境を作り上げるところが楽しかった。『南極カチコチ大冒険』は本来的に大長編が持っていたとある未知の場所へ行くことへの憧れを丁寧に描くことはしなかった。南極にはわりと単純な動機で行き、遊園地のようなものはおまけのように作り上げられ、あっという間にそのくだりが終わる。むしろあの部分を丁寧に描くべきだと僕は思った。その後の、南極の地下で何か見つかり、そこに絡む陰謀などに巻き込まれるというだけで、構成すれば良かったようにも思うが、そちらの話にタイムワープや宇宙人、古代都市など入るため、ボリュームバランスが悪くなった気がする。


まぁ、そんなこんなで、『ドラえもん』について語りすぎるのもどうかと思いつつ。映画が終わり、娘と食事を食べてから家路へ。少し季節外れだったのだけど風鈴の音がどこからか聞こえてきた。風はまだ少し冷たい。