東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『狂言を観る』

tokyomoon2017-07-24

梅雨が明けたと思ったら曇りの天気が続く。夜は風が吹くので窓を開けておくと涼しいから蒸し暑くなくてすむけれど。


土曜。仕事終わりに少しだけ地元の盆踊りに。娘は幼稚園からの友達と会えて楽しそうだった。友人たちと盆踊りを楽しんでると思い、少し離れた場所で見守っていたら、突如迷子の案内が流れ、娘の名前が呼び上げられた。娘が自分で本部のような場所へ行き、「迷子だ」と告げたらしい。いつの間に見失っていたか。その後は元気を取り戻し、終わりまでわいわいと騒いで、帰ってからもなかなか寝なかった。23時ごろにようやく就寝。夏休みを謳歌している様子。


日曜。仕事の前に、国立能楽堂でやっていた親子連れ向けの狂言公演を観に行く。僕自身、国立能楽堂に行くのも初めてだし、狂言を観るのも初めてだったので良い機会。


能舞台の作りはもちろん知っていたけれど、ではけに使用される橋掛けや、待機スペースにもなる後座、など、子供向けにわかりやすく表現されてると思われる狂言演目を見ながら興味深く観る。演者は摺り足で歩く。複数人が同時に登場するときも、一定の間隔を空けながら同じ速度で歩き、その歩く所作、時間の取り方もまた表現の一つだと思えるし、対話もある種の型があるとは思うものの、その型を観る心地よさのようなものがある。改めて演目を観ると、驚くのは劇中で時間や場所が飛ぶことで、狂言や能は元来の性質上、照明効果は使わず、演者の動きや台詞でそういった場面転換は表現されるが、本舞台の上を円形に一回りすると場面が変わる、その感覚を遥か昔から共有できる想像力の豊かさが、舞台表現の持つ魅力に思える。


そして、何より演者の方々の身体。所作、歩き方、重心の低さ、そして発声。


六地蔵』という演目そのものが持つ、バタバタとした面白さを、子供向けにわかりやすく演じてくれており、娘もゲラゲラと笑っていた。個人的にはもう1演目上演された『痺(しびり)』の中で、足が痺れて立てない下働きの男と主人とのやりとりで、男を立たせようとする行為を丁寧に見せるあたりに狂言の面白さを感じた。


いろいろと刺激を受ける。