東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『枯れ葉の季節』

tokyomoon2017-12-09

この時期になると、落葉して枯れ葉が道路に落ちている。職場にも落葉樹があり朝の仕事前に枯れ葉掃除をたまにするのだけど、それはそれでなんだか気持ちが良い。掃除自体が嫌いじゃないのだと思う。特に枯れ葉掃きはなんだか楽しいとさえ感じる。それで、ふと、これは老いなのかとも思うが、しかし楽しいとさえ感じてしまうので、仕方が無い。枯れ葉が多くて大変、という話しになった時、それは冗談だったかもしれないが、社員の1人が「(木を)切っちゃえばいいのに」といったニュアンスの言葉を使ったのだけど、そういった発想に面食らった。ダメとは思わないが、この季節には当たり前のことなのだろうし、落ちたら掃けばいいだけではないか。面倒と思う方も、迷惑と思う方も、いやもちろんそれぞれの主張はあるのだろうが、もう少しだけ、ゆるい考え方はもてないのだろうか。


先日、三軒茶屋で仕事があった後、電話などもしていたのでなんとなく渋谷まで歩き、スクランブル交差点あたりで満月が見えたのでなんとなく気持ちよくなり、原宿まで歩いてみた。すると、原宿の交差点がイルミネーションでキラキラしていて、その上に満月がみえて、まだ時間に余裕があったので、そのまま明治通りを歩き続け、新宿へ。で、ここまで来たならばとそのまま家まで歩いてみた。約10キロ程度。2時間25分くらいかかったが歩けるもんだなぁと実感。まだ冬目前のギリギリ歩ける程度のひんやり加減。家の近くは街灯も少なく、月の他にも星がきれいに見えた。


そんな矢先、Facebookで以前に投稿した記事で、國府理さんのブログを引用している記事を見つけた。

國府理さんのKOKUFUMOBIL 2010年11月のブログより抜粋
《そこで、あらためてひとり、顔を上に上げてみる。
瞼が開き、眼 球の周囲に何か新鮮な空気を感じる。喉があごにかけて一直線に伸び、気道が開けて鼻腔に新鮮な空気が流れ込むように感じる。リラックスしていれば自然に口 も開いてしまう。あたかも身体の生命活動に必要な入り口をすべて開け放って何かを求め、受け容れようとしているかのようにも感じた。》


『月を見に行く』というタイトルの作品を舞台で上演したことがある。どんなことがあってもふと月を見上げてしまう瞬間があり、「きれいだなぁ」と思ってしまう気持ちについて、などを表現しようとした作品、のつもりで。

まぁ、それはさておき。6年前にこの文章に触れたときも今も、僕は相変わらず月を見上げている日々を過ごしている。