東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『4年に一度と春一番』

tokyomoon2018-03-01

住んでる地域には、野良猫たちを保護しようと考える人たちがいて、(野良と呼ばずに地域猫という呼び方もその考え方の一つだろうが)、嫁がレオという弱ってる猫を保護して、病院に連れて行ってケアをしたことがあった。毛並みも乱れ、見た目にも痩せている肉付きだとわかる猫だったが、薬を処方されたことでやや元気を取り戻して、少し餌も食べるようになった。

松瀬さん、昨日は大変、お世話になりました!今朝、西ヶ原の先生がみて、出来るだけの事してくれて、一時、呼吸止まったのですが又、とりもどし、意識はなくも静かな眠りについてます。ある意味でレォはしあわせです。松瀬さんにも助けて頂き、感謝します!ありがとうございました。

その数時間後

レオは眠りにつきました。ステップの先生にもお礼と最後の検死に伺いました。雪のなか行ったり来たりでしたが、命の尊さと人々の優しさに触れ、言葉では言い尽くせない想いです。


とは、同じく地域猫の保護を頑張ってくれている方から、嫁にきた連絡。僕は嫁の横で餌をあげているのを見ていただけで、何をしていたわけでもない。前日に生きてそこにいた猫が翌日に亡くなってしまったということにひたすら呆然とした。「死」が久しぶりに間近にあった。しかもあっけなく。猫だからそうだ、というわけでもないだろうし、人も変わらないのだろ。そこからしばらく「死」のことばかりぼんやりと考えた。いや、そこからというのは違うかもしれない。少し前にみたEテレの余命宣告を受けた方のドキュメンタリーを見てからかもしれないし、職場の同僚の、まだ年若い知り合いが突然亡くなったという話を聞いた時からかもしれない。年齢的にも40歳に差し迫り、もう折り返しに向かうからという時期に自分がきているということもあるのかもしれない。



そういった中で、石牟田礼子さんや大杉漣さんの訃報が流れたり、購入した文芸誌の筒井康隆さんや松尾スズキさんの短編小説が「死」を題材にしているのも偶然だろうけれど、そういったことに目がいくのはどうしてだろうと思う。



死は考え方。あの世はそのことについて考える「今」があるからこそ存在する。実際、おそらく死ねば僕は火葬され灰になり、埋葬される。それで終わるのだろうが、生きてるうちに、死んで消えて無くなることに対して、何か「それだけではないものを」と願う気持ちが「あの世」とか「生まれ変わる」みたいな考え方を作ったのかもしれない。いや、実際、あるのかもしれないけど、「あの世」も「生まれ変わり」も。だけど、今の自分にはおそらくそれを実感はできない。



死んだらわかるのだろうし
死んだらそれまでだろうし



そんな最中、オリンピックということでテレビをつけるといろいろ賑やかではありつつ、まったく興味ないので朝ならチャンネルをワールドニュースへ、夜ならゴリパラ見聞録かいろはに千鳥か、水曜どうでしょうをに変える。もしくは映画を観る日々。



オリンピックと別に四年に一度、2/28がやってきて、その日は結婚記念日なので、会社を出来るだけ早めにあがり、家族で夜ご飯を食べる。サンシャインシティにあるお店へ。娘に結婚記念日だというが、特に興味を示さないし、わたしには関係ないと言う。そして、嫁が注いだドリンクバーの飲み物を、色だけで当てれると息巻いて「コーヒー」を正解すると得意げな顔をする。



嫁の体調は少し良くなった。インフルエンザはもう治った様子。嫁がインフルエンザになってから、娘のベッドで一緒に寝る日々だが、昨日の朝、まだ明け方。ふと目が覚めた。携帯を見ると5時半。雨が降っていた。すると娘も目覚め、「おとう、まだ5時半だけど起きちゃった」と言う。なぜ、そのタイミングで2人揃って目覚めたのかよくわからないが、「まだ早いからおとうは寝る」と言って僕は寝た。風が強く吹くと予報がでていた。春一番だという。