東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『アルプススタンドのはしの方』/『37セカンズ』

日曜。休みなので、掃除機をかけたり布団を干してから、映画を観にいく。早稲田松竹で『アルプススタンドのはしの方』と『37セカンズ』の2本立て上映がやっていることを思い出した。自宅から映画館までは散歩気分で歩く。晴れているので歩くのは気持ち良い。

 

『アルプススタンドのはしの方』。

高校演劇で上演された戯曲を基に映画化した作品。僕なんかが言うのはおこがましいけれど、少ない登場人物と、限られた空間の中で進行する物語は、ある程度、その道筋は見えてしまう。そのあたり、やはり拙さや都合の良さはあるものの、それが高校生特有のものなのか、高校野球特有のものなのかはわからないけれど、損得を抜きにしたところで、他者を全力で応援することの直向さは、素直に心を動かされる。特に最近、打算や見返りが前提で何か行動をすることに嫌気がさしていたところだったので、なおいっそう。いろいろ条件面とか俳優たちの力量とか、撮影スケジュールとか、予算とか、考えだしたら切りがない諸々が映画製作にあるだろうけれど、そういうことをどうのこうの言う前に、この作品全体からあふれ出る『直向さ』を大切にしたい気にもなる。

 

『37セカンズ』

映画冒頭で主人公の女性が言葉を発するが、その声のトーンが最初のひっかかりとなる。そして、車いすで移動するその声の持ち主である主人公が自宅に戻り、暑くて汗をかいたからという流れで、お風呂に入るが、その時に服を脱ぎ、全裸になることで、彼女が「演じている」わけではなく、実際に身体にハンディを背負っていることがいきなり示される。監督の意志と、それを受け止めて演じた主人公。その段階で映画に引き込まれる。

日本人キャストだらけなのに、普段の日本映画の進み方とは確実に異なるし、画作りもどこか違う。そして、知名度があろうがなかろうが、キャストの使い方も極めて客観的。これが総て日本のスタッフならば、アングルや編集の際に、もう少しキャストに気を遣わなければならないのだろうけれど、お構いなしに、監督の望む作品世界を貫いていく。それもまた心地いい。それがアメリカ的とかハリウッド的と呼ぶべきなのかはわからないけれど、日本を舞台に、日本人キャストで描く、少女の成長の物語ではあるのだけれど、日本的などこか湿潤な感動を強調するような部分はなく、あくまでも物語を進行させるために程よい客観的な感覚で進行していく。ホームページのプロダクションノートを見ると、監督とキャストの間でいろいろとやり方の食い違いがあったと想像させる記述もあるけれど、作り手の中に確固たるビジョンがあるようには感じることができる作品だったと思うし、少なくとも僕は強く胸を打たれた。

 

というわけで、二本、映画を観てどっと疲れつつ、少し気分転換に散歩をする。神田川沿いを歩いて、ふと、関口教会へ行こうと思う。

 

久しぶりの関口教会。中に入ると、人はまばら。膝をついて祈りをささげている男性がいた。ぼんやりと座る。暖かいわけではないけれど、教会の中はひんやりもしておらず、座っていると、少し身体の中に暖かいものが入ってくるみたいで、少しうとうとしてしまった。

 

しばらく教会にいてから、家に戻り、布団を取り込む。春や初夏のように布団がぽかぽかになるわけではないけれど、空気を含んだ布団は良い匂いがする。夜になって習い事を終えた嫁と娘と合流し、夜ご飯を食べて帰宅。ゆっくりとした一日だった。