東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『win-winなど』

ここ数日のコロナ感染者の増え方は確実に危険な状況だとは思う。ただ、以前の緊急事態宣言前後に比べたらどこか他人事のような空気感は確かにあるし、仕事のことを考えれば、確かに今、いろいろなことがストップするとそれはそれで厳しいものがある。が、しかし、目に見える飲食業ばかりが自粛要請を受けているのは本当に心苦しい。「大変だよなぁ」って他人事でいいわけではない。

 

以前も似たようなことを書いたけど、数十年後に今の政治状況を振り返り、驚くほど感染者が増えているなかで、施策として実施したgo toキャンペーンというものがあり、振り上げた拳を下ろすわけにもいかず、片方で感染者が増大しながら、その施策を止めずキャンペーンを進める。なんたる喜劇だなぁと思う。ただ、当の僕らはその状況をなんともいえない距離感で飲み込んでいて、こういう『なんとなく』が社会をぬるく動かしてしまうのだなぁと思う。目の前の生活と、社会の切実さを天秤にかけて、目の前の生活を優先させてしまう。せめて、恥ずかしいと思い、そして、政治にも意識を持っておきたい。

 

それはそれとして、いろいろなところで悩ましい部分もある。ふと思うに、僕は『win-win』という言葉が嫌いなのだと思う。何かをすることで、何かの見返りを前提とする。もちろん、当たり前と言えば当たり前だけど、そうそう都合よく見返りがあるわけではないし、こちらが望むものと向こうが考えた見返りが等価であることなんてそうそうない、と思う。

 

端的に言えば、仕事をしたらお金が欲しいわけだし、成果がほしいわけだけど、営業した分、ちゃんと仕事が取れるかというとそうもいかない。足を棒にしたり、時間を費やしたとて売り上げがたつかどうかもわからないし、では、売り上げが立ったからとて、それに見合う給料が得られるかどうかはなんともいえない。見合うかどうかは、外部要因に拠る。外部要因で決めることも必要だけれども、結局のところは自分が納得できるかどうかではないかとも思う。見返りが総てなのか、そのあたりは悩ましい。ただ、ひとまず『win-win』っていう考え方は苦手だ。僕は自分が納得できるかどうかは、自分の物差しで決めるし、できる限りのことはするが、それは何も相手に施そうなんてことではなくて、うーん、ここまでいろいろ書きながら、何が言いたいのかわからなくなってきた。

 

僕は無神論者なのだけど、例えば信仰のある方は神に祈ると思う。その時「win-win」なんて考えるだろうか。自分が祈りたいと思うから祈る。例えばそういうこと。もちろん、神様と自分がwin-winなんて思えないと言われればそれまでだけど。そういう祈りに近い気持ちで、仕事も、人間関係も、構築できたら、何か、もう少し変わるんじゃないだろうか。まぁ、仕事は仕事。別ものと言われればそれまでなのだけど。

 

こればかりは難しい。何とも言えない。

 

ますます最近は寒くなってきた。コロナ対策で職場の窓が開いているので寒い。

酉の市があったので、仕事終わりにのぞいてみたけれど、遅い時間だったからか人も少なかった。タコ焼きを買った。嫁のお薦めでポン酢のものを食べたが美味しかった。