16日(土)。少し朝寝坊。とはいえ、わりと早く目が覚めてしまうのだけど。朝ごはんを食べてから少しゆっくりできたのでテレビを観ながらゴロゴロしたり、筋トレをしたり。天気は引き続き、あまり良くない。
娘と嫁は習い事だかなんだかで朝から出かけた。が、昼過ぎ、一瞬、嫁だけ戻ってきた、と思ったらまたすぐに出かけて行った。
夕方、映画を観にいこうと新宿へ。そこまで雨は降ってなかったけれど、夜は強く降るという予報なので、傘を持参。『リコリスピザ』を観ようと思い、出かける。新宿三丁目駅から地下を歩く。地下の商店街を歩いているとチケット販売の店があり、そこで1500円のチケットを買えた。有難い。地下をうろうろ歩いて地上へ。靖国通り沿い、歌舞伎町の入り口付近まで地下を移動できた。
歌舞伎町は賑やかだ。だけど、どうも好きになれない騒がしさ。ただ、どちらかというと僕みたいな者の方が場違いなのだろう。
『リコリス・ピザ』。冒頭の中学校のトイレシーンの爆竹から、この映画には様々な偶然があふれている。その偶然は、およそ映画的な展開をさせる物語とは無縁かのように、繰り返し続く。ニューヨークへでかけることも、ウォーターベッドビジネスを思いつくことも、警察に拘束されることも、酔っぱらった大人たちの悪ふざけに参加することも、選挙活動をするポスターを見つけることも、彼らの日常の通り道にたまたま存在し、彼らはそれの一つ一つにしっかり寄り道したりしながら、つかず離れずを繰り返す。そこそこ利己的な彼らが、自分のやりたいこ日々を過ごして、しばしば思いっきり走り出す姿の痛快さはなんなのだろう。警察から出たところの走り出しもそうだし、オイルショックに車が立ち往生している道路を「この世の終わりだ」と楽しそうに走る姿も。世の中は他愛も無い偶然に溢れている、だけど、その偶然から何かを選択するのは、彼らの意志だ。詳しくはしらないアメリカのどこかの町の、おそらく平凡な二人の登場人物の、少しばかりうねうねとした出来事の数々は、彼ら二人に限った物語のはずなのに、不思議と誰にでもありうる普遍的な物語でもある気がする。クライマックスの二人が、目の前の自分の場所から走り出して、もう1人を探し求めて夜の町を駆け出すシーンは、様々な出来事を経て、偶然ではなく、自らの意志で相手を探し出そうとしていて、その姿に胸が熱くなる。あと、なんだろう、個人的には、酔っぱらった大人たちが夜のゴルフ場へと歩く横移動ショットは、どこか不思議な祝祭感があって好きだった。
映画館を出たら、小雨だった。21時過ぎの歌舞伎町は引き続き、賑やか。雨だし、サンダルだし、人は多く、駆け出すことも不可能で、もたもたと歩きながら帰宅。スマホを見ているとゆで卵が健康にも良いし、腹持ちもいいという情報を知り、10個パックを購入。