東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『若おかみは小学生!』

朝、天気が悪かったけど、少しずつ、雲間から晴れ間が見えてきた。天気予報をぼんやり見ていると「梅雨前線が」みたいな言い方をしていて、これ、実は沖縄とかはすでに梅雨入りしているのかと思ったり。

午前中は、娘とUNOをしたり、録画していた映画「若おかみは小学生!」を観たりする。「若おかみは小学生!」はとても良い映画で、後半はグッと泣きそうになるのを堪えつつ観る。生きてる人、死んでる人、鬼、子供、大人、老人、様々な年代、生き物がでてくる。アニメーションの豊かな表現、そして日本の四季の描写の中で、一期一会のお客さんに旅館の若女将として対応するエピソードがありつつ、いくつかの生死が描かれる。主人公は様々な『喪失』を経て、成長をしていく姿を描く。両親を事故で喪うという強烈な出来事があったにも関わらず、祖母の営む旅館に来るシーンでは、意外なほど悲しみが少ない。最初の客である父子とのやり取りの中でも、母を失った男の子に対して「私も両親を失った」と言葉にする主人公は、それでも悲しみを表にださない。その理由は中盤でわかる。占い師とのやり取りの中で、「父と母は生きているような気がする」と主人公は言葉にする。車に乗ると、発作のように事故の出来事が思い出されるが、つまり、まだ主人公は、死を受け入れられていない。だからこそ、彼女の周りには死んでしまったはずの二人の姿が見える。序盤の物語は、彼女が多くのものに触れる「喜」が描かれる。そして物語が進んで行くにつれ、彼女の感情が大きく揺さぶられる。一つは自分が若女将をする旅館がつぶれるだろうという非難を受けて、それまでそこまで感情を現さなかった彼女が激しく「怒」の感情を出す。そして、物語の終盤に訪れる家族の父親が、両親の死に関わった当事者であるという劇的な物語が突如おとずれて、彼女は「哀」もあらわにする。猛烈な「哀」だ。だけど、それを彼女はそれを受け入れる。つまり「両親の死」を受け入れる。だからこそ、2人の死んでしまっている友人たちも見えなくならねばならない。なぜなら彼らも死んでいるわけで、この世には存在していないからだ。四季が巡り、冒頭にも出た舞を、自ら踊るクライマックス。彼らは別れを理解しつつ、「楽」の表情で踊る。四つの季節、四つの感情、四人の舞。四を「し」と読めば、それは「死」も連想できるかもしれないが、きちんと「死」を受け入れるということは、裏返せば、「生」の実感でもあると思われる。それこそ、彼女が劇中の1年で獲た成長で、だからこそ、この映画に胸打たれる。

午後は少し仕事。用事は新宿だったけど、人出は多かった。帰りに本を買おうと思ったが、紀伊国屋書店は平日は営業していたけど、土日は休みで本が買えなかった。雲がほぼなくなって、空は快晴だった。久しぶりの夕日。気持ちがいい。それでなんとなく、新宿から歩いて帰宅。明日も晴れるといいなぁと思う。