東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ヘヴン』

9月28日。早朝。久しぶりに運転。朝の運転は気持ち良い。空も快晴。が、高速道路は上りも下りも混んでいて、思ったよりも進まない。当然仕事なので、運転を楽しむ前にきちんと仕事をしなければならないので、そこはいろいろバタバタ。無事に終わり、それからまた仕事をいくつか。

夕方になってまた仕事で渋谷へ。渋谷に行く機会がここ最近、多い。事務所から歩いて向かう。JR渋谷駅のホーム沿いの再開発地域はビルがすっかり無くなって、空がなんだかそこだけぽっかり眺めがいい。夕暮れの気持ちの良い風景。少しばかりお酒も飲むような仕事。そういうのもたまにある。終わって外に出ると風が心地良い。

9月29日。朝から仕事で事務所へ。午後になりいろいろと人前で話をする。普段も電話をしたり話はするけれど、人前で何かを話すのはどっとエネルギーを使う。それでクタクタになる。どうも力も入らず、仕事が終わってから、少し読書をしようと思うけど、喫茶店に入るほどではないかなぁと思い、電車に乗って本を開く。川上未映子さん『ヘヴン』。学生時代のいじめという題材は数多く使われて、いくつか読んだり触れたりすることはあるけれど、それらとはまた異なる手触りを感じる。悪意があれば、その悪意に向き合うことがある種の勧善懲悪を形成するし、読み手も、立ち位置を把握しつつ、ある意味では主人公を応援できる。虐めをする中心人物たちではない男の子と、虐めを受ける主人公の対話が物語の中盤であり、そのやりとりがずっしりとくる。悪意がなく、直接的なベクトルが向かわない。それでいて、たまたま、主人公がそこにいて、彼に何かをすることは、『たまたま』でしかない、ということを淡々と語る。どのようにコミュニケーションを計ればいいのか、大きく揺らぐ。向き合うことができない。一方で同様に虐めを受ける女子生徒と主人公は対話を深めていくが、その女子生徒は女子生徒で虐めを受ける理由を、彼らの動機とは関係なく、自分の内にある宿命と受け止める。実はこれもまた外部とのコミュニケーションを断絶している。主人公は彼女と同じ立場にいながら、彼女の考え方もまたある種の「おしつけ」であることに、後半戸惑う。相互に彼らはコミュニケーションを拒む。いや、拒むという行為もある意味では能動的だけど、もっと無意識に、いや、意識的なのかな、彼らは外部を断絶する。もしくは外部に自分を強要する。その重さに戸惑う。

とはいえ、ページをめくることがやめられず、本を読んでいたらその電車の終着駅まで来てしまった。それでホームのベンチでまた読み進める。人も閑散とした日曜の夜。終着駅からはまたその先の駅へ向かう乗換もできるので、そこで家路に向かう人たちがホームに並んでいる。その向かいの都内へ向かうホームで読む。

頑なさをほどくには、ひとまずやってみる。治らないと思った斜視を抱える主人公は、意図も簡単に、そして費用も思ったよりもかからずに斜視を直せることを知り、その手術をやろうと決断する。それで何か、大きく変わるのかはわからないが、まずは一歩、踏み出すことで変わる。そうして治った目に映る世界の美しさを知ることで物語は終わる。ふーっと一息ついて、都内へ向かう人もまばらな電車に揺られる。なんだかどっと疲れた。