東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『冬の夜長の映画など』

tokyomoon2018-12-16

諸々、年末や年明けに向けてやらねばならないことがあり引き続きバタバタしてるものの大きな仕事が終わり、今はある程度、落ち着いて仕事ができるものの、何か終わると次が来るという感じは変わらず。


家常さんの家で忘年会があったのだけど行けなかった。前日に、嫁から指示を受けて忘年会に持っていくために作る一品の素材を買いに仕事終わりに近所のスーパーで買い物をしていた時に友人のTくんに会ったのだった。Tくんも忘年会用に買い出しにきていた。職場の忘年会があったという。そんな時期。なかなか友人たちとも会えず。いや、まず自分から行動できてないからなぁ。


そんな中、家に帰ると、最近は映画を観ている。
ギレルモ・デル・トロシェイプ・オブ・ウォーター
アキ・カウリスマキ希望のかなた

シェイプ・オブ・ウォーター。登場人物たちが揃いも揃って利己的でありながら、自分の中の譲れないものをとことん追求しようとする行動の果てに物語が進んでいくのが良い。半魚人のような生き物と主人公の女性が身体を重ねる描写はあるけれど、そういう具体的な交わりが愛ではなくて、助けようとするためのなりふり構わない行動そのものがここに描かれる「愛」なんだなぁと思ったり。ところどころに出てくる名言というか、敵役となる人物と主人公が初めて対峙すること場面が男性トイレなのだけど、そこでのやり取りで敵役が、「男の度量はトイレに入って、手を先に洗うか後で洗うかで決まる」という発言をしたのが痛快だった。しかもその後に、半魚人に指を二本持っていかれるという悪意のあるストーリー。面白かった。


カウリスマキの新作。美術の色合いは照明は相変わらず色鮮やかで目に楽しい。ただ、難民三部作の二作目として作られた作品の物語は息苦しさが感じられる。紛争地域からフィンランドに逃れた青年役の語る逃げてきた経緯が重い。逃れてきたフィンランドの地でも差別にあいながらも、たどり着いたレストランのオーナーたちに助けられて、離れ離れになった妹と再会する場面に救われる。逃亡の手助けをしてくれた男と「(報酬は)いくらだ?」「(妹のこと)こんな素敵な運びものに金はいらない」という二言で会話が終わりあとは煙草を吸うだけの描写に痛快さを感じつつも、政府のものなのかテロ組織のものなのかもわからぬ爆撃で家族の全てを殺された兄妹が流れ着いたフィンランドの地で生きていこうと決意し、「死ぬのは簡単。でも私は生きる」と妹が語る言葉の重さは計り知れない。そんな中、悲劇として幕が降りる間際に犬が救いとして現れるカウリスマキ節も堪能。冬の夜長は映画。


それとは別にETVでやっていた『アイヌらしく 人間らしく〜北海道150年 家族の肖像』も面白かった。アイヌの血をひく大学生が自分の生き方を見つめる姿を描いたドキュメンタリー。両親や祖父、アイヌの方々とのやりとりを通じてアイヌ研究(つまりアイヌの伝承を残していく)をする研究者を目指すことを決意する。アイヌという意味にはもともと人間という意味もあり、アイヌらしく生きるとは、自分が思うように生きることであると言葉にする青年の姿がよかった。青年が「ものもらい」になってしまい、そのことを祖父に話すと、「ものもらい」にはアイヌでは特別な授かりものの意味もあるとのことで、ものもらいになると何かいいものを授かるよ、と優しく微笑むご老人の言葉が印象的だった。で、言ってるそばで娘がものもらいになったようで目が痛いと言っていた。不思議な偶然。