東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『2011年はじまる』

2011年。年が明けた。

年末は29日の午後から、嫁氏の実家である山形に行っていた。
当初は、29日の午前中で新幹線の指定席を取っていたのだけど、仕事の都合もあってそれに乗れず。午後になって仕事が終り、着替えや猫を連れて大宮駅へ。と、我が母から「渡す物があるので」と連絡があり、新幹線に乗る前に待ち合わせ。みかんやらさつま揚げやらいろいろ手渡される。着替えや猫を持ち、すでに両手が塞がっているところに困ったのだけど、母は気にせず「こうやって、こうすれば」と手持ち袋の整理をしてよこしてくる。

帰省ラッシュのピークまではいってないのだろうけれど、新幹線自由席は当然満席。通路で立って3時間。途中、やけにトイレに入る中年男性がおり、なんだろうと思ったが、通路ですれ違った時に煙草の匂いがした。

山形の実家に行くと、毎回本当にたくさんの御馳走を出して頂く。どうやら義母さんの中では僕はやけに食べる人という印象があるよう。おかずとお酒でお腹が満たされたところで、締めにごはんをどうぞと山盛りを提供して頂き、それを食べると「おかわりは?」と聞かれる。食べに食べた年末年始。

嫁氏と一緒に山形に来ていた娘子は、変わらず元気で、相変わらずモテていた。まだハイハイまではいかないものの、ずるずると匍匐前進のような動作をし、例えるならば生まれたての小鹿のように身体を起こそうとする。みんなでそんな娘子を見ている。

して、昨日2日に仕事があったので猫と一人、1日のうちに新幹線で東京へ。
正月気分もあるようなないような。


年末のことを少し。
26日(日)にうちで忘年会をやった。娘子のお披露目もありつつ。近場の人たちをと思い声をかけるうちに結果的に15人ほどに。楽しい宴。娘子も笑ったり泣いたりの大忙し。途中、娘子が焼酎瓶を小脇に抱える場面があり、将来なかなかの豪傑になりそうな予感。
場所を近場の居酒屋に移動してからの久しぶりにお酒を飲んだIさんとUさんと芝居の話しになる。
かつて『東京の果て』という芝居を作った。その時と今の違いは30代になっているという年齢的なものと仕事をしているということ。ならば30代になり、働いている身体がそこにある。今、『東京の果て』を同じようにやることは不可能だと思う。かつての身体とは地続きでも、表出するものは異なっていると思う。
そして宮沢賢治さんの言葉。

衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業作業を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ

この言葉がずっと引っかかっている。
これは日々の仕事に対する宮沢賢治さんの意思表明の言葉であると思う。
今、僕の、仕事をする身体は、果たしてどのような舞踏を体現できるのか。それは滑らかで美しいものとはほど遠いものになるだろうけれど、それこそが僕の持つ身体の舞踏になると思う。

2011年、今年もいろいろ楽しくあればと思う。