東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『訃報』

■ 晴天が続く。とても気持ちのいい日々だ。まだ連休が続く人もいるんだろうし、こういう天気が続くのは本当にいい。僕も昨日、一昨日とそれなりに楽しい休みを過ごした。結局海には行っていない。男一人旅も出来なかった。そういう時間も取れればよかったんだけれども、無理でした。まぁいつかきっとできるだろう。

■ 学生時代、一緒に芝居をやった後輩のMが亡くなったという。そのメールが届いたのは一昨日の夜だった。大学を卒業した後もMと連絡を取り合っていた僕と同期のKが報せてくれた。そのKにしても頻繁に連絡を取っていたわけではなく、Kがそのことを知ったときに、それは同じく5月3日だったらしいが、すでにMがこの世を去ってから1月以上経っていたそうだ。

■ 4月の上旬、僕は自分が関わっていた芝居の稽古でてんやわんやしていた。今から振り返ればそのあたりのことがまだはっきりと思い出せる。そんな最中に僕が知っている人がこの世を去っていたということにどうしていいのか判らない心持になる。

■ Mと僕は正直、そんなに接点はないのかもしれない。せいぜい大学の演劇サークルの先輩後輩の間柄という関係で、よくよく考えてみたら一緒に芝居を作ったのは大学3年生のときに僕が作・演出した1本だけだ。他に、大学祭実行委員会などを一緒にやったこともあったがそういった関わりも極々少ない。

■ それでもMは僕にとって「天才」としか言いようのない才能の持ち主だった。

■ Mは僕が大学3年生の時に、僕が入っていた演劇サークルに入部してきた。とても大人しい女の子だった。無口だったのであんまり言葉は交わさなかった気がする。ただ毛糸で作った帽子を被っていたことだけはよく覚えている。あとで知ったことだが、実は大学に入学したのは僕と同じ年だったらしい。彼女はもともと重い病気を患っていたそうで、そういった理由でその後2年間、彼女は大学を休学していたとのこと。

■ 僕が大学3年生のとき、演劇サークルがいつも7月にやっている夏公演をやらなかった。それは僕が待ったをかけたからだ。きっとその当時、その判断に不満を持っていた人もいたに違いない。それでも結局、そのまま7月の公演はいろいろな準備をしていたにもかかわらず中止になった。Mを含めた新入部員にとって公演の機会が1回減ったということは、今から思うととても貴重な時間を失わせていたのかもしれない。

■ その年の12月に僕が作・演出した作品を上演することになる。もともと男3人、女6人の計9人の役者で芝居をやろうと考えていた。が、女子部員の1人がその芝居に参加できなくなり、重要な役の役者が足りなくなってしまった。そこで出番の兼ね合いなどから新入部員だったMがその役と元々やるはずだった役の2役をこなすことになった。

■ 及ばずながら、その当時から極力役者はあて書きをしようと試みており、その役もある程度その当時、サークルにいた役者のそれぞれを想定して書いていたつもりだった。だから最初、Mを想定して書いてなかった役をやってもらうのは大変だったと思う。それでもMは最終的に代役としてその役を全うするのではなく、彼女の持ち味を存分に発揮して紛れもなくその役を自分の役として演じていたと思う。

■ 僕が芝居で直接Mと関わったのはその公演が最初で最後だった。その後、僕は東京で芝居の勉強をするために3月に大学を休学した。毎年4月に、この演劇サークルは新入生への宣伝を兼ねて公演を行っていて、僕が休学した翌月ももちろん公演があったが、その作・演出をMがすることになっていた。僕は休学のバタバタや研究室の用事が忙しく、その公演の手伝いを一切出来なかった。むろん、4月にやる公演なので本番も見られない。そこで東京に行く直前に、まだ稽古中のその芝居を見せてもらうことにした。

■ 正直、まだ1年くらいしか芝居をしていないMの作・演出でどこまで作りこむことができるのだろうと、たかだか3年くらいしかやっていなかった僕が心配していた。今でもそんな立場にはないが、なにかアドバイスでもしてやろうくらいの気分でその芝居を見せてもらった。それがしかしとてもよく出来ていた。全てがいいとは思わなかったけれども、全体としてとても面白かった。感心したし驚いた。その時、初めて劇作家としてのMを知った。

■ その後、東京にいた僕は人づてにその演劇サークルの事情をよく耳にした。Mが書いた台本をやるかやらないかをサークルで揉めたことがあったそうだ。結局、その時はMの台本をやらないで、本屋で販売している著名な劇作家の戯曲をやったらしい。Mがどういう台本を書いたのか僕は知らない。その時のサークルの事情もわからないので僕が口出しできることは何もないが、自分の作品を否定されることはきっととてもつらいことだったと思う。それは僕にも経験があるが、とてもくやしいことだ。

■ 演劇サークルはその辺りから、どうもうまくいっていなかったようだ。いや、うまくいっていなかったわけではないのかもしれない。その辺もすでに部外者だった僕には判然としない。とにかく劇団員がどんどん減っていると聞いていた。そんな中でMは芝居をやり続けていた。

■ 一年間休学したあと、僕は大学に復学した。その時に、同期のやつらと芝居をすることになった。せっかくだから一緒にやった経験のすくない下の学年の人たちとも一緒にやろうと誘った。参加してくれる人たちもいた。しかしMは参加しなかった。

■ そのときも思ったが、学生時代、先輩という存在は頼もしくもあるが、目の上のたんこぶのように思えるときも少なくない。大体どのサークルでも卒論が忙しくなるので4年生はサークルを辞める。そして3年生が中心になる。演劇サークルにとって先輩が辞めて自分達が中心になるということは自分がやりたい芝居を、もっとやりやすくなるということだった。僕もずいぶん好き勝手にやった。いくら本屋で販売している有名な劇作家の戯曲とはいえ人の書いた台本をやるのが嫌だった。自分で書いた台本をやりたかった。おそらく既に自分で作・演出をしていたMもそういう気持ちがあったんだと思う。それはわがままというよりは当然の生理だと思う。

■ その年の10月に僕は自分が書いた芝居をやった。Mはその2ヵ月後に自分が書いた芝居をやった。Mが作ったその芝居は当時、サークルにいたMを含めた3人が出演した芝居だった。とても小規模な芝居だった。しかしとても良かった。学生会館の小さな部屋で上演されたその芝居を、僕は卒論の合間をぬって観にいった。僕を含めて10数人しか観客はいなかったと思う。とても勿体無かった。本当にそう思った。とにかくその芝居を最後にこの演劇サークルは活動停止になった。原因は人数不足だった。

■ 大学の演劇サークルは、芝居を一生懸命やろうというような人ばかりではない。勉強の合間の息抜き程度にと思って入る人も多い。そういう人を否定するつもりはないし、返ってガチガチに芝居をやりたがる人たちよりも面白いものを持っている人がいたような気もする。ただ、熱心じゃない人と芝居を作ることは時に大変だ。趣味で野球をやりたい人に甲子園を目指すから猛練習に付き合ってくれと言われても困るだろうし。その点で僕はついていた。僕の同期の連中は僕の無茶な要求にも付き合ってくれたし、芝居に取り組むスタンスが似ていた部分もあった気がする。ただ、僕より下の学年になるにつれてどうも雰囲気が変わっていった気がする。一緒にやる機会が少なかったからはっきりとは判らないけれども、僕の目にはいつもMはやりずらそうにしていた気がした。サークルが活動停止になったことはまぁM自身にも責任があったのだろうし、とにかくいろいろな理由があったのだろう。僕には詳しくは判らない。仕方がないことだと思った。

■ その後、僕は大学を卒業してふただび埼玉の実家へ戻った。それ以来Mとは会っていない。人づてにMの持病が再発して入院したことを知ったのはいつだったろうか。Mの書いた戯曲がある演劇雑誌の主催する戯曲コンクールで最終選考まで残ったとかいう話も聞いたことがあった。とにかく僕にはそういう話を人づてで聞くくらいしかなかった。その後、Mが芝居をやっていたのかも知らない。東京にこだわらず、Mがどこかで芝居に関わっていたらいいなぁと一方的に思うことはあったが、それ以上のことは僕にはできなかった。Mの訃報を聞いた今、それでも僕にできることは何もなく、ただただ昔のことが思い出されるだけだ。

■ Mの作るお芝居は僕にはないものがいっぱいあった。僕が東京で観た芝居にも彼女が作るような芝居は存在しなかった。彼女は唯一無二の劇作家だった。

■ できればMの作る芝居にどんな形でもいいので参加してみたかった。Mと芝居に関して、いや、もっとずっとたわいもないことでもいいから腹を割って話す機会があればよかったと思う。

■ 北海道の帯広の大学の演劇サークルというあまりにも狭い枠に収まるはずのなかった彼女の作品に触れる機会があっただけでも僕は幸運だと思う。もっとたくさんの作品を作ってもらいたかった。できればもっといろいろな人が彼女の作品に触れる機会があればよかったのにと思う。ひどく一方的な見解になってしまっているかもしれないが、彼女の作るものが僕は好きだった。

■ 彼女が書いた絵はがきを持っている。大学の学祭で彼女がお店を出して絵はがきなどを販売していた店先に売っていたものだったと思う。素敵な絵だったのでMに頼んでもらった。ただの水たまりが書いてあるような絵なのだけれどもなんだか良い雰囲気の絵だ。水のかたまりが波のようにうねっている。水色がとても綺麗な絵はがきだ。その絵はがきは買ってからずーっと僕の部屋の壁に貼ってある。

■ 彼女のご冥福を心からお祈りします。