東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『夏の終わりにいろいろあったこと』

tokyomoon2015-08-31

いろいろとバタバタとしていて、もはや先々週のことだけど、覚書として。22日の土曜にとある舞台の初日を拝見させていただき、仕事上のこととはいえ有難い次第だなぁと思う。


そして23日の日曜は日帰りで大阪へ。始発に近い電車で品川駅へ向かう。新幹線を取ろうとしたら、意外に混んでおり、乗ろうとした新幹線がまさかの満席。ひとまず次の便の指定席を取ってから早めにホームへあがると、指定席を取った便より20分くらい前ののぞみが入ってくるところで、自由席がガラガラだったので飛び乗る。指定を取った後の便で自由席に変更はできると知っていたのだけど、前の便に乗れるかどうかはよくわからなかった。座っていると駅員さんが来たので恐る恐る聞くと、自由席乗車は全然問題なかったようで「では指定をキャンセルしますね」と持っている端末を操作していた。そんなこんなで気がつけば新横浜を過ぎ、パソコン作業をしていたらあっという間に名古屋。名古屋で人がたくさん乗ってきたが、次の京都でやたらと下車。そしてあっという間に新大阪だった。バタバタと大阪での仕事があり、21時くらいの新幹線で帰京。先日、大阪に住むYしゃんに大阪に行ったら会おう的な話をしていたのだけど、日帰りになってしまいとても会う余裕はなかった。


翌日から少し夏休みをもらっていたので、今度は嫁の実家の山形新庄へ。これまた新幹線にて。なんだか西へ東へバタバタする。


新庄は毎年この時期、新庄祭りというものをやっていて、その祭りもあっての帰省なのだけど、本当は嫁の祖母の一周忌があってのこと。一周忌は日曜にあったので僕は行けなかった。駅から降りるとかなり涼しい。驚いた。半袖と短パンで来たのだけど寒くて祭りどころではなかった。家に着くと毎回のことだけどとてもたくさんの美味しいものをご馳走になる。そして酒を飲む。


翌朝、温泉へ連れてってもらう。長閑で少し鄙びた風情のあるところ。湯治場として使われていた温泉地。源泉はヌルヌルとしてとても熱かった。少し我慢して入ると熱さが全身に走り、少しでも身体を動かすお湯の揺らぎでさらに熱くなる。息を大きく吐く。すると湯の中でくつろげる。外へ出ると涼しい。川沿いには鈴虫が鳴いていて、なんだか猫の額のような公園がある。そこには滑るところが壊れて無くなってる滑り台があったり、クルクルと回るシーソーがある。娘と遊ぶ。車を止めていた駐車場の目の前にある旅館の前で、記念写真を撮っている家族がいた。端っこにいた老人は最初照れていたのか写真に入るのを拒んでいたけれど、娘さんに引っ張られてその輪の中に入っていった。


4日ほど山形で休暇を取った。といっても初日は移動、最終日も午前中に新幹線に乗ってしまったからなんとなくゆっくりしたのは2日くらいか。朝ごはんを食べて、のんびりして、それから昼ごはんを食べて、昼寝をして、祭りを観に行く。途中で仕事の電話が入ることは仕方がないとしても、新庄での時間はゆっくりしていた。初日の夜23時ごろだったか買い物もあって外へ出た。東京の夜と違い人がおらず、やけに静か。もうまわりの家々はみんな寝てしまっているかのように思えた。誰もいない路上で写真を撮ってみる。少し肌寒かったこともあったと思うけれど、なんだかあまりに静かで久しぶりに夜が怖いものに思えた。空がずっと高いところにあった。


夏休みを終えて帰ると、切り替えて仕事。バタバタといろいろこなしていきつつ、こなしきれない諸々もある。そんな最中、29日土曜に大学の演劇サークルの先輩であるWさんが脚本を書き、顧問教師として教えている北海道の定時制高校の演劇部が高校演劇の大会で勝ち上がるという素晴らしい快挙を成し遂げ、国立劇場で上演するというのでそれを観に行く。せっかくだからということで、関東近郊に住む演劇サークルの同期や先輩、後輩たちも集まった。遠く金沢から深夜バスで駆けつけてくれた先輩もいて、僕は上演前にその先輩と東京観光ということでスカイツリーを観に行った。その先輩とはかれこれ15年ぶりくらいの再会。なんやかんやとお互い変わらないねと話すその口調もかつてのままだけど、少し違うところがあるとすれば金沢の言葉が色濃くなっていて昔はそこまで方言がでていなかったのになぁとびっくりする。そして14歳になるお子さんもいるとのことでそれもまたびっくり。その先輩の奥様も大学の演劇サークルの先輩でいわゆる部内結婚。奥様は金沢で絵本作家をしており、先日4冊目の新作を上梓したばかり。2冊の絵本をいただきとても嬉しい。互いにいろいろありつつも、なんとか生きていることが良いんだなぁと思う。そんなことを話すと「そりゃそうよ、なんとかならんことはないからね。なんとかなるんよ」と金沢の言葉で笑顔でサラッと応える先輩の、その言葉になんだかいろいろと悩みながらグズグズとしている自分が馬鹿らしく思えてきた。



高校生のお芝居は、実際に自分たちが置かれている定時制という立場を反映させた作品で、決して上手いとは言えないのかもしれないけれど、ゴツゴツやらデコボコしたその姿がとても良かったし、若さむき出しの直向きさが素直に良かった。きっとそれが高校生が演じるということなんだと思う。そんな中でも、働きながら学校に通い、いつか「この貧乏からぬけだす」と決意を込めて語る台詞が、今、まさに彼らが直面している現実に向けた言葉であることの重さも伺えたことはきちんと留めておかなくてはならないのだと思う。


Wさんはすぐに飛行機で帰ってしまったので簡単な挨拶しかできなかったけど、その後、残った面々で居酒屋で話をたくさんした。不思議なもので、通っていた北海道の大学で出会った仲間たちはなんだかみんな面白い人ばかりで、何年経ってもこうやって盛り上がれる。獣医として働いている真っ当な人がいれば、金沢で絵本作家をしている人や、東京でパンクをやっている人、落語協会で働く人、と、なんだかいろんな人がいる。そのすべての生き方が面白くて、みんな良いなぁと思う。たくさん話してから、金沢から出てきてくれた先輩がその日の深夜バスでまた金沢に戻るので、それを見送り散会。


東京駅でそれぞれの乗る電車に別れた後、丸ノ内線に乗る先輩とホームまで一緒だった。パンクをやっている先輩。ずっと前から、僕に本を書けと言ってくれていた。「私はパンクで世界一を目指してる」というので、「僕も日本一を目指します」と言った。決して酒の席の勢いではなく、では適当かというとそうではなく、なんだかははっきりしないけど、根拠もなく、なんとかなるだろう、なんとかならないことはないし、と思いながら池袋から歩いて帰った。


なんだかいろいろと楽しく長い一週間だった。