■ 3日(土)。昨日とはうってかわって寒い。昼に知人の芝居を観劇。前日まで開演が14時だとばかり思っていたのだけどほんとは15時だった。無事、開演には間に合ったけど終わったらすぐに仕事に行かなければならなかった。劇場を後にしようとしたとき、運良く顔見知りの役者さんが外に出てきてくれたので少し挨拶をしてそのまま仕事へ。こういうとき焦るのは情けない。
■ 役者が複数人、舞台上で入り混じって台詞を言う時、台詞がピタリと合うタイミングの気持ちよさよりも、その入り混じった全部の音のバランスが心地良いかどうかのほうが僕には気になる。一つの台詞をきちんと聞き取ろうとするとどうしても他の台詞が邪魔に感じられるけど、もう意味やストーリーはおいといて、発せられる台詞すべてを一つの音楽だとして耳に届く心地よさを重視しようとすると、役者が発する声そのものに意識がいき、その声の魅力や他の役者の声と合わさる時のバランスが気になってくる。まぁ、こういう観かたはかなり偏っているとは思うけど。一人、僕にはとても心地良い声の方がいた。台詞として発せられているのにそういう感じがしない。強すぎないし、弱いわけでもない。他の人の声と重なっても嫌な感じにならない。うまく調和される。おそらくその方自身ものすごく注意を払ってバランスをとっているのではないか。とにかく僕にはその方の声がとても心地よかった。
■ 昨夜放送していた『虎の門』の井筒監督のコーナー『こち虎自腹じゃ』で話題の『ダヴィンチ・コード』が取り上げられていた。映画自体の評価はおいといて、その後のスタジオトークで井筒監督が放送時間が押していたのにも関わらず、慎重に言葉を選びながら「なぜ、この映画が今、ハリウッドで作られたのか」ということを語っていたのが興味深かった。確かに、僕自身キリスト教とは無縁だし、多くの日本人にとってこの作品は単なる謎解きミステリーのように見られている印象を受けるけど、西欧の社会ではもっと別の意味で受け止められているはずだ。作品が提示する謎が正しいかどうかはともかく、こういった形でキリスト教に波紋を投げかけることがそもそもタブーのようなものだったのではないのか。しかし、それが踏み込まれた。そこにはビジネスが絡んでくるのは当然だろうし、ハリウッドといえばことさらその印象は強いものの、果たしてビジネスだけなのかと思う。漠然としたことだし、こういうことを推論でしゃべるのは軽率なのだろうけど、ハリウッドの業界にはユダヤ人投資家が多いと聞く。とすると、賛否あれキリスト教に波紋を投じる作品を作ることに彼らの投資が関わっているのだとすれば、今、この時代にこの映画がハリウッドで作られたことにはまた別の意味が出現するのではないのか。この映画自体にはまったく興味はないけど、今、この映画を取り巻くもっと全体的なことが気にかかる。
■ ところで、イッセー尾形さんが主演したアレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』は銀座シネパトスで8月から公開されることが決まっているそうな。これがどういう波紋を投げかけるのかは判らないけど、少なくともこの国では『ダヴィンチ・コード』よりは話題になるべき作品だと思うのだけど。なにより僕は作品としてこの映画に興味がある。