東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『任意の一点』

■ 雲が多くて気温もそれほど上がってないようだったけど、湿気が多いせいかジメっとして暑い一日だった。


■ 早稲田通りを歩いていると緑色で統一された服を着た比較的ご高齢の方が数名かたまって歩いているのを見かけた。駐車監視員という人たちなのだろう。早稲田通りは路駐をしている車が多いので今後は大変だろうなと思う。もちろん道交法では違反とされる行為なのは判っているけど、しかし取締りが一方的に厳しくなるのはなんだかなぁと思う。結果として生み出されたものだけを取り締まるだけでは根本的な解決につながらない。駐車違反の取締りは『なぜ路駐する車があるのか』という根本的なところを無視している時点であまり有効とは僕には思えないのだけど。まぁそれ以外の方法を提案しろといわれると確かに難しいけど、しかし今後はより一層反発のようなものが増えて、いたちごっこが続いていくような気がする。


■ ところで早稲田という地名の由来をこの前知った。僕は無根拠に『早く稲が育つ』土地と思っていたのだけど実際のところは『早く育つ品種の稲を植えた田んぼが多かった』土地ということらしい。その方がなんとなく「らしい」と思った。かつて稲作を生業とした人たちの商魂というものがそこには伺える気がする。早稲田通りの賑わいはそこにお店を構える人たちの「いかに売るか」という活気のようにも感じるし、そういう土地に早稲田大学という学び舎があるのもなんだかふさわしい気がする。


■ そして、金曜。今月も運よく金曜が休みのシフトになったので週末だけ大学生のふり。今週は『中上健次とサウナ文化』を語ると先週の終わりに予告されていたので、朝から『牛乳の作法』(筑摩書房)を本棚からひっぱりだしてその中に掲載されている『新宿のサウナで中上健次を見る』と題されたエッセイを改めて読む。予習だ。かつて実際に大学生だったころも予習なぞしなかった。変な熱意に我ながら呆れる。


■ 授業はそのエッセイに沿うように、中上健次と新宿であったこと、そして池袋で1999年におきた通り魔事件について、その犯人である造田博が中上健次の『十九歳の地図』を愛読していたこと、さらにその事件が起きたまさにその日に出版された文芸誌に宮沢さん自身が池袋を舞台にした小説を発表していたこと、それらの関係から宮沢さんが思うことについていろいろお話してくれた。


■ 興味深かったのは『任意の一点』という考え方。中上健次の小説はしばしば和歌山県の新宮、熊野そして路地という土地が舞台になり、そこが中上健次のいわゆる文学的トポスとされていた。他にもガルシア・マルケスならマコンド、フォークナーならヨクナパトーファ郡ジェファソン、阿部和重ならシンセミアなどの舞台になっている神町、と様々な作家にそれぞれの文学的トポスと呼べる場所がある。だから中上健次に憧れる作家はしばしば自分にとっての文学的トポスを見つけようと考えるが、果たして現在この文学的トポスを見つけることが有効なのかと宮沢さんは言う。


■ そこで『任意の一点』。つまり場所はどこでもいいという考え方。実際、中上健次さんも『世界中どこでも路地である』という言葉を残しているのだという。どこでもいい。その土地が、作家の手によって新たな物語を生み出すことが大事だという。そして、任意の一点を決めたとしても、そこにばかり固執するのではなく、その外側でまた別の劇が生まれているという想像力を常に持っておくことが大事なのだという。そうすることで劇空間の細部に目が行き届きながら、より大きく舞台の外側の世界を意識することが出来るのだという。


■ ならばその『任意の一点』を見つけるきっかけはなんなのだろうか。宮沢さんの作品に出てきた埼玉の北川辺、川崎の鶴見、もしくは池袋といった『任意の一点』を宮沢さんはどのようにして見つけたのか。宮沢さんはこう答えてくれた。


「作家の勘」


唸らされました。それはそうなんだろうなと思った。いろいろな土地を探して、見つけて、その中から「作家の勘」というもので一つの土地を選ぶ。そこには戦略とか計算だけでは計れないものがあって、突き詰めて根本的なところにあるその人のセンスつまり勘がその土地を選ぶのだろう。そのセンスに触れることに読み手である僕は喜びを感じるのだろう。もちろん、その土地を見つけるためには常に何か独自のアンテナを張り巡らしているのだと思う。奇蹟や偶然はそれを呼び込もうとしている人の前にしか現れない。


■ ところでこぼれ話なんだけど、新宿のサウナで中上健次と会った話は、注文したコカコーラを店員が間違って中上健次のテーブルの前に置いたことで、宮沢さんが中上健次に気付いたという風にエッセイには描かれているが、実際のところは宮沢さんはコカコーラではなくカキ氷を注文したのだそうだ。それをエッセイで書く際にコーラに変えたのは、中上健次が『灰色のコカコーラ』という短編を書いていたことにその後の文章をつなげたかったからというのが理由らしいけど、なにより『中上健次とカキ氷は似合わなかった』からなのだとおっしゃっていた。それはなんだかよく判る。確かに中上健次とカキ氷は似合わない。しかし、中上健次を目の前にしてカキ氷をしゃくしゃくと食べる宮沢さんという絵もそれはそれでなんだか面白い。