東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『岬/上野の夜桜』

■ 期間限定なんだろうけどヤフーの動画サイトでスピッツのシングル発表曲のPVがフル視聴できる。スピッツの曲は大学生の頃にすごく聴いていた。とくに車の中でよく聴いていた。夜に北海道帯広の郊外を車で走るのが好きだった。畑や牧草地が広がるような場所は街灯も少なくて車のライトが照らす範囲以外は暗い闇に包まれている。運転することに集中しているわけではないのだけど、特に他のことは考えずただ車を走らせていた。そんな時はなんとなく世界にただ一人だけになってしまったような気分になる。カーステレオからはいつも音楽が流れていた。スピッツ。サニーディサービス。フィッシュマンズ。THE BOOM。坂本龍一。それらの音楽は今聴いてもあの頃を思い起こさせる。『水色の街』のPVがすごくよかった。象がでてた。『流れ星』はいつ聴いてもいい曲だなと思う。


中上健次『岬』(文春文庫)読了。


■ 24日(金)。仕事の後に友人に会うために上野へ。友人の提案で上野公園に夜桜を見に行くことにした。まだ桜が咲くには少し早いかなと思ったけど、日当たりのよさそうな場所は結構咲いていた。満開まではいかないけど、八分咲きくらいはいってる。提灯が公園内にはたくさん吊られていて桜の花を照らしていた。桜の花が手を伸ばせば届くくらいの場所にある。友人の話では満開になるとまるで桜の花の屋根の下を歩いているような錯覚を覚えるくらい公園内は桜の花でいっぱいになるのだという。それはすごくきれいなんだろうなと思う。さっそく花見をしながら酒を飲んでいる人もいた。人は酒を飲むものです。というわけで、僕らも場所を居酒屋に移して友人と酒など飲みながらいろいろ話した。楽しかった。


■ 上野の山の向こう側、浅草はかつて縄文時代の頃は海だった。上野の山は海岸線に面した岬だった。『「サッ」という音は、古代の日本語では異界との境界をあらわす、魔術的な音だった。「サカイ(境)」とか「サカ(坂)」とかいう言葉は、みんなこの「サッ」の音を含んでいて、見慣れない不気味な世界との境界線がここにありますよ、ということを示していた。その境界を通じて、異界との見えない通路が開かれているのが「サッ」という音のついた場所だった。』とは宗教学者中沢新一さんの言葉。岬もまた「サッ」を持つ別の場所との境界線を示す言葉だ。上野はだから異界との境界にあたる。そんな土地が北の玄関口として東北から来る人にとって東京に来るための入り口となっているのはおそらく偶然ではない。土地には力がある。


『岬は異界に向かって身を乗り出している場所、そうして乗り出した全身で異界から吹き寄せる風を受ける場所を、あらわしている。境界に立って、向こう側に広がる世界に通路を開いていく場所、それが岬だ。』



中上健次さんの「岬」は生まれ故郷である紀州・新宮を舞台にした作品。作品の中に出てくる岬はおそらく特定の場所、三輪崎の付近をさしていると思われるけど、もっと大きなくくりとしてそれは紀伊半島全体を意識していると思われる。


『半島と言えば、私には自分の生まれ育った紀伊半島だが、去年一年何度もその半島を車で走り回り、汽車でまわり、その度に別な顔をみせているのを知った。ある時、半島のことを英語でペニンスラと言うのを思い出した。一種象徴的である。それを人はなんと呼ぶか、男根、恥部、ことごとく私には紀伊半島を形容する言葉に見えた。それは付属物と言えば言えるし、明らかになくても生き死には関係ない。だが脳も内臓もそれに影響を受ける。そしてイベリア半島シナイ半島朝鮮半島、そう考えてみると半島なるものが、この現実の火薬庫として在ることが見えてくる。半島は爆弾でもある。』


これは中上健次さんのエッセイ『夢の力』(角川文庫)で半島について書かれた文章。紀伊半島という巨大な異界。それは遠く昔、京の都に対して熊野が特別なものだったように。中上健次さんは自分が生まれた土地の抱える宿命のようなものをそこで暮らしながら感じていたのではないか。そうやって「岬」は土地の宿命を抱えながらさらに己の中に流れる血の宿命をも背負う人々の生き様を描く。


■ 「岬」の終わりで、主人公の秋幸は異母兄妹である妹とそうと知りながら性的関係を持つ。

『彼はうなずいた。女の手が彼の性器にのびた。海にくい込んだ矢尻のような岬を思い浮かべた。もっと盛り上がり、高くなれと思った。海など裂いてしまえ。』

自分の中に流れる血の宿命と住んでいる土地の宿命に翻弄され苦しむ主人公の『悲劇』が描かれた作品だと思う。