東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『29/30/32/60』

■14日(金)。仕事の後に、渋谷のユーロスペースに行き、林田賢太監督の『ブリュレ』という映画を観に行く。9月頃、この映画に関わっているある方と仕事をご一緒する機会があり、その際に今度映画が上映されるとのことで、そのチケットを買った。諸々あってチケットのことを半分忘れていた矢先に、ネットのニュースでこの監督の訃報を聞き、32歳と言う若さで急死されたとあり、自分とそれほど年齢の変わらない人がその年齢で、映画の監督をし、ロードショー公開に至るも、死んでしまったということを知る。上映は14日まで。21時からのレイトショー。仕事で21時をまわってしまい、諦めたようとした矢先、最終日ということで22時半からの追加上映があることを知る。その映画のチケットを手にしていたし、上映時間にも間に合ったので、これは観ておこうと思い渋谷へ。

登場人物によって語られる、行動の動機が、その本人の内側から湧いてくる抗い様の無いものであるはずなのに、なにやら説明的な印象を受ける。言葉にしないと判らないものは当然あるのだけど、僕個人の印象としては語られ過ぎているような気がする。
それと、登場する男性陣が善良すぎる印象。良い人たちだ。あんなに受け入れちゃっていいのだろうか。ずいぶんとダメな双子なのに。親切の結果、家を燃やされるわ、自家用車を原付バイクと交換するわ、夜の暗がりで置いてかれるわで。男たち、良い人。だからなのか、男たちは物語を進行させるために入れ替わりで出てくるだけのような印象。それも主人公たちの物語に焦点をしぼっているからなのだろうか。
でも、監督の撮ろうとする熱意、カメラに自分の思いをそれこそ焼き付けようとする意志はひしひしと感じる。作中の男たちのように監督も誠実な方なのではないのだろうか。自分が見つめてきた、自分が撮りたいと思った人間像を、カメラにおさめるため、ずっと何かを見つめてきた。それが作品となった。観客の中には関係者の方もたくさんいたようで、館内では偲ぶ会も行なわれており、監督の人柄も伺える。人のつながりがあって作品作りが成り立つ。


■それで、改めて自分の作品を考える。土日はずっと映画について考えつつ、編集をしたり、参考に改めて青山真治監督の『路地へ』を観たりしていた。『ブリュレ』で感じた色々なことを、自分の作品に置き換える。難し。

で、煮詰まりそうになったので日曜日の午後に鬼子母神まで散歩にでかけた。大公孫樹を見る。境内で3人組みのアジア系の観光客っぽい女性にカメラで写真を撮ってくれと頼まれる。一枚撮って見せると「モウイチマイ」と言われる。さらに一枚パチリと撮ると「アリガトウ」と言われた。

さらにフラフラと歩き、都電の線路を渡り、雑司ヶ谷霊園まで歩く。変な意味ではなく、霊園を歩くのが好きだ。なんだか静かで。若干、小雨まじりなので人もまばら。たまにパンフレットを持った年配の方とすれ違うくらい。著名人のお墓でも巡っているのだろう。新宮で、中上健次のお墓がある霊園を歩いたときも、何か不思議な安寧が心の中にあったような気がした。

携帯が鳴る。母からの電話。その後、どうなのか、と言われる。引っ越しをすると言った後、連絡をしてなかった。ひとまず落ち着いたと伝える。すると母は、それと、お父さんが11月で還暦を迎えたよ、と言う。忘れてた。父の誕生日があった。年末に一度顔を出せと言われて、帰るよと伝え、電話を切る。

雑司ヶ谷霊園を歩く。少し遠くを見るとサンシャインのビルが見える。自分の立っている場所と都市の不思議な距離感。父が60歳を迎えた。ある映画監督は32歳で亡くなった。29歳の僕がいる。3月で30歳になる。それで気付く。父が30歳の時、僕は生まれたのか。父は、僕が間もなくなる年齢で、僕という子供を手に抱き、ケンスケと名付けた。僕は、その父と同じ歳になろうとしている。29歳、30歳、32歳、60歳。頭の中でその数字がぐるぐるとまわる。雑司ヶ谷霊園を歩く。誰かも判らぬお墓が、小雨に降られて黒光りしている。生きるも、死ぬも、僕の身近にあって、なのに本当にそういうことを忘れて、見ないふりして毎日生活しているなと思う。

■それとは一切関係なく、猫は細い目をして寝ている。『寝る猫とイオンサプライ』。