東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『雪の降る町』

■3連休。私事で山形へ。新幹線で諸々4時間程。
3連休初日の東京駅は、スノボーを抱えて新幹線に乗り込む人たちがたくさんいた。あんなでかいものを抱えて逞しい限り。雪国に行っても決してウィンタースポーツなどしない私。


■それで山形へ辿り着くと、いきなり「羽黒山に新年の挨拶に行かねばなるまい」と言われる。その理由が『今年の羽黒山のパワーは10倍すごいから』らしい。かいつまんでアレすると羽黒山他、出羽三山と呼ばれる霊山が開かれたのが丑年らしく、丑年の参拝は他の年に参拝するよりもかなりすごいことになっているそうな。牛、すごい。
というわけで荒れ模様の天候の中、羽黒山へ。本来ならば修行の山ということもあり、麓から徒歩で社に行くべきなのだが、防寒と熱意が足りなかったので車で社の目の前まで。人生で初めての祈祷などもして頂く。

車で最上川沿いを走っていたとき、車のラジオから美空ひばりさんの『りんご追分』が流れてきた。大好きな曲。最上川と『りんご追分』は何やら合うと勝手に思う。

今年は今のところ、雪が少ないらしい。
参拝後、気まぐれに羽黒山から日本海側庄内方面へ向かう。すると雪がまったくなくなる。月山や羽黒山を挟んで内陸側が最上地方であり、庄内地方日本海側になる。間にある山が気候を分ける。日本海から吹く風は、庄内に地吹雪を発生させる。雪を降らせる雲は山を越えて、最上側に大量の雪を降らせる。冷たい風と大量の雪。いずれも厳しい環境には違いない。車を走らせることでそれを直に見ると、なんとも言えず圧倒される。

酒田の砂浜は、とてつもなく強い風と荒い波で、立っているのもやっとだった。砂浜には風車があり、それも猛然とまわっている。8ミリでそれを撮影する。

雪や、風、山や、海。その土地に暮らす人は、どうしたってそれらと向き合わなくてはならない。その向き合い方。町や人を見ていると、決してそれらを支配する訳ではなく、その存在を認めつつ、暮らしているように思う。もっと言えば『受け入れる』ということ。雪は降る。風も吹く。海がある。山がある。当然、並大抵のことではなく。たかだか数日、そこを傍観者として見ただけでは知ることができない暮らしの積み重ねは当然ある。

80歳を越して痴呆がすすんでしまったおばあちゃんがいる。「いつ、来た?」と聞かれ、「朝一番の新幹線で来ました」と答える。そうね、と言ってからまたすぐに口を開く。「いつ、来た?」。そういう症状が、不可逆的に、どんどん悪くなって行くところを間近で見つめながら、共に暮らしていかなければならないこととはどういうことか。血のつながりとかそういうことだけはやっていけないのではないか。共に暮らす人は言った。

『自分一人だけがそうだと思うと辛いが、決してそうじゃない。誰もがそうなる。そうなる可能性を持っている。そうやって年を重ねていく。』

この言葉に、そこに生きる人の精神性を感じる。


■帰りの新幹線。車窓からの風景。そこに暮らす人の生活がどのようなものか、僕には判らないけれど、その風景は美しいとしかいえない。



風景とは関係なく、帰りにすごい名前の弁当を食べる。牛はここでもすごいことになっている。