東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『by a suit』

18日(月)。夕方にM君からお酒の誘いをもらった。が、この日、市川準監督の『by a suit スーツを買う』を観に行く算段を立てており、この日を逃すと公開終了まで都合上観に行けず、どうしてもその映画を劇場で観たく、その旨を伝え、申し訳ないと思いつつ、お酒は次の機会にまわしてもらった。

そういうわけで渋谷のユーロスペースで『by a suit スーツを買う』を観る。想像以上に自主映画だった。カメラ一台、マイクも民生のピンマイクなのだろう。照明も当ててないように思う。

関西圏からやってきた女性が、兄や、兄のかつての恋人に会いにいく、東京での1日を描く物語。その物語に添えて、秋葉原隅田川周辺、浅草など、東京の風景が挿入される。個人的な感想で言うと、この作品自体にはそれほど魅力を感じなかった。

関西圏から来た主人公が、東京のカフェや川縁、居酒屋で、関西弁でしゃべっている。そういった人物とその周辺だけで作品は存在出来ると思えた。東京を描こうとして、秋葉原〜浅草というラインをロケ地として選んだこと。その土地を選んだ市川準監督の意思が明確にあることが公式サイトを見て判った。切り取られた風景は、一枚の画としては成立していると思うのだけど、どうもそれらが物語と馴染んでないように見えた。もっというと風景は付け足されたような印象。

でも、この作品を形にして公開したことの意義というものはすごく大きいと思う。兄と妹の川縁での会話。マイクの性能上、2人の会話と同様、それ以上に空気音をひろってしまい、2人の会話ははっきりと聞き取れない。特に兄が。妹の声はアフレコされていた。改めて公式サイトを見ると確かに妹の声は後日アフレコされたものだった。兄の声は、実際のものを活かしたらしい。アフレコを行なわなかったのは、その場の空気感を大事にしたかったからだという。その姿勢。クオリティをあげるにはお金をかけるしかない。レンズや照明、録音、様々な技術を導入することで、どれほど作品のクオリティがあがることか。でも、クオリティとは別の、もっと大事な部分は、かけた金額では量れない。

ズーム機能を使って、人物に寄る。手ぶれが起きながらも人物を追って移動するカメラ。復縁を断った女性の台詞を、それまでに一度もなかったくらいたくさんカットを割ってつないでいく。そういう部分に、監督の意志を直に感じる。会話の部分に、外部の音が、会話と同等のレベルで入っている。それが録音の技術的なことなのかは判らないけれど、むしろその音こそがこの作品における東京の音としてあるように思えた。

僕は市川準さんの作品を『トニー滝谷』と『トキワ荘の青春』と本作しか観たことがない。それだけでは、何も言えないかもしれないけれど、その3作品を観た限りでは、僕は市川監督の作品の全面的な支持者ではない。でも、市川監督の描こうとしているものにはすごく共感出来る。

商業映画の場でも、CMの世界でも、第一線でご活躍された市川監督の、最後の作品が自主映画だからといって、自主映画こそが市川監督の選んだ道だとは決して思わない。公式サイトを見ると、新しいカメラを手に入れて、それを試したくて子供のようにはしゃいだという市川監督の様子が語られている。それは、あくまで通過点だったに過ぎない。自分がやりたいことをやるための通過点。この経験を経て、次のステップへ向かうつもりだったろう。絶対にそうだと思う。惜しまれる急逝。

映画館でチケットを買った時に、ポストカードをもらった。手書きのスケッチ。なにやらこの作品にとても相応しく思えてくる。