東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『やっと一息』

ここにきて、肌寒いくらいの天気。雨もなにやら秋のご様子。

18日まで、仕事に忙殺されていた。本当に忙しかった。天気も重要で、そこまでは猛暑の日々だったけど、雨が降られるよりは全然マシ。夏全開であったことが有難い。夏バテすらする余裕もなくバタバタしていた。まだその仕事自体は終ってはいないけど、ともかく一区切りがついて、心底ホッとしている。

忙殺。文字通り、仕事以外なにも出来なかった。
8月は忙殺予定が判っていたので、そのことを嫁氏に告げると、嫁氏は娘子と猫を連れて実家に向かった。助かったのは猫も連れて行ってくれたことで、僕自身、ピーク時は3日くらい家に帰れなかったので、あの猛暑の中で、猫一匹を家に置いて仕事をしていたら、気が気でない。
送られてくるメール画像を見るに、娘子が順調すぎるほど順調に育っているのが淋しい。

いろいろ無理がでてきた。
正直、いろいろ見つめ直す気分にもなっているのだけど、それはまた別の話。

19日、その仕事が終えてから雨が降り出して、何やら夏の気配が無くなっていることに不思議なタイミングを感じる。繰り返しだけど、これが1日でも早まっていたら本当に大変なことになっていた。

そういうわけで、この週末は残務処理をしつつ、ぼんやりと過ごしていた。
説明も難しいので、端折るけど、残務処理はその後の作業の準備も兼ねているけれど、基本的にデータ変換作業で、enterボタンを押すと2時間ほど待つだけの時間になる。それを延々くり返すために会社にはつめてないといけない。

なので、ここぞとばかりに溜め込んでいたDVDなどを観る。
内田けんじ『運命じゃない人
市川準『東京兄妹』
北野武ソナチネ
廣木隆一『M』
ロバート・レッドフォード『普通の人々』

して、映画館でレイトショー。
宮崎吾郎コクリコ坂から

ひときわ面白かったのは『ソナチネ』。以前、何かの本で、北野監督が浜辺に佇む人の画が好きというのを読んだことがある。海の生物が進化して、海から陸地に出てきた生物として、在る人間。海と陸地の境界は、物理的な意味以上に、ある。
浜辺というギリギリの陸地。生死を分つギリギリの場所。そこで繰り広げられる刹那の享楽の、不思議な美しさ。紙相撲の駒のように、ごくごく些細な理由で倒れるように、人の生死もまた意味を超えた位置で、何かに委ねられる。地面を叩く振動で駒も人も倒れる。『美しい』と思ってしまう不謹慎さ。それが死のメタファーであるのに。


何やら夏が終ってしまったような日々。