東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『放置中の記録など』

仕事のバタバタで忙殺されつづけた1月。まだまだやらねばならぬことが多いのだけど、ようやく一区切りがついた。

とくにここ4日ほどは家に帰る余裕もなく、そのことを事前に嫁氏に告げたところ、埼玉の我が実家に娘子と猫とショートステイの態を選択。旦那の実家ということもあり、気を遣うこともあろうが、それよりも8ヶ月にもなろう子を1人で面倒みることの大変さに比べればとそのような選択に。それくらい大変だということは、お子さんを持つ会社の方も言っていた。


して、娘子。下の歯がちょこっと生えてきて、つかまり立ちやハイハイもどきもするようになり、日々の成長が本当に楽しい。が、人見知りと後追いも始まったようで、何よりの問題は後追い。娘子にとって嫁氏はなくてはならない存在としてあり、僕がいても嫁氏の不在を知ると大いに泣き叫ぶ。父、敗北。非常に残念なことながら、仕事で家を空け、娘と接する時間が数時間ではそれも仕方なし。もしも人見知りの対象になってしまったらと戦慄すらする。我が父母は娘子の訪問を楽しんでいるのだろう。1月中頃にも行ったのだが、その時の父母の興奮っぷりは今まで見たことがない。父など、隙あらば娘を抱っこしようとする。


松田正隆さんのワークショップ作品『都市日記-shinjyuku-』を観たのはもう一月も前のことで、今更そのことをどうのと振り返るのもなにやら。報告者として舞台に立つ中高生。自らの目で見た新宿を語る。俯瞰の目で語り、どこかおぼつかない立ち方をする役者もいれば、なにか型をつくっている役者もおり、そういう場合、魅力的なのはおぼつかない立ち方をする役者さんだなぁと思う。それと、上演された早稲田大学の講堂はなんという立派な施設であることよ。あれが学内の施設かと思うとうらやましい。僕が理想とする劇場は、ステージが一番下にあり、客席が階段状になっているところなどもスバラシイ。僕が心地いいと思う劇空間はかつてあった麻布ディプラッツというところだけど、今は建物自体がない。


1月末は友人と会う約束をしていたのに仕事でキャンセルさせてもらった。田中泯さんの講演にも行きたかったのだけどそれも行けずじまい。講演を聞きにいったUさんからメールで感想を聞くと、農作業などで身につけた地球人としての身体に裏打ちされた表現への追求といったものを今もなおしている姿勢を伺い、そこに宮沢賢治さんの『藍色の舞踏』の詞と共通しているものを感じ、聞きにいけなかったことが悔やまれる。いわゆるネイチャー主義とは違う手触りの身体へのまなざし。とはいえ、農作業ばかりやれぬ現代人の身体がここにある。今の、仕事をする身体、その身体から生じる立ち方が、どういう舞踏になり得るのか。


4日ぶり家に帰った昨日。嫁氏も娘子も猫もいないので静かで寂しい。いつの間にか眠ってしまい、今朝になって目が覚めたけど、寒さも穏やかで暖かくなりそうな予感の朝。